約 32,396 件
https://w.atwiki.jp/promasys_study/pages/21.html
問題点 データベース(DB)は、性質上基本的に肥大の一途を辿るものです。特に、臨床研究・臨床試験専用のデータベースとなると、各国の規制や、学会が定めるベスト・プラクティスにより、削除そのものが大きく制限されております。PROMASYSに至っては、削除できるものがあっても、消去した内容の一字一句監査証跡に記録されるため、削除することでの容量節減は基本的には図れません。 昨今、大容量のHDDやSSDが比較的安価なため、DBがサーバーマシンの記憶媒体に収まりきらないことを心配する必要はほとんどありません。ですが、DBが肥大化するにつれ、一つ注意しなければならない点があります:DBファイルの制約です。 DBファイルは、容量が2GBまでと限られております。PROMASYSインストール時には、容量2GBまで成長可能なDBファイル(通常のファイル名:PROMASYS.d1)が一つ作成されます。DBファイルの容量が2GBに達してしまうと、以後の書き込みが一切行えなくなってしまいます。ログイン時にログイン履歴がDB内に記録されるため、ログインも行なえません。そうなる前に、定期的にDB容量を確認し、必要に応じてDBを拡張する必要があります。 データベースの拡張方法 増設方法について詳しくは、マニュアルの「Extending the Size of the Promasys Database」を参照して下さい。以下に、拡張方法を簡単に紹介します。 1.拡張用のファイルを作成 Promasysデータベースフォルダ内で【新規作成→テキストファイル】で「Add.st」等の名前がついたファイルを生成します。この際、stが拡張子ですので、フォルダオプションで拡張子を表示する設定にしておく必要があります。作成されたファイルを、メモ帳(Notepad.exe)等で開き、下記の内容を記述します: # PROMASYSデータベースに2GBのExtentを5つ追加するためのSTファイルです。 # マニュアルの「Extending the Size of the Promasys Database」を参照ください。 d . f 2097024 d . f 2097024 d . f 2097024 d . f 2097024 d . f 2097024 上書き保存をして、ファイルを閉じます。 2.データベースの停止 Daemonプロセスが起動している場合、これを停止(STOPボタン)して終了(メニューよりQUITを選択)して下さい。デスクトップ上のOpenEdge Explorerショートカットのダブルクリック、あるいはブラウザのアドレスバーに「localhost 9090」と入力することにより、OpenEdge Explorerツールへのアクセスが行えます。緑色のアイコンが付いているものを、全てクリックで選択して停止(STOP)させて下さい。 3.データベース拡張 スタートメニューのプログラムの一覧から、ProgressまたはOpenEdge等の名前の付いフォルダを探し、ProEnvというツールを起動させます。コマンドプロンプトが展開しますので、下記を記述します(赤文字は上記1で作成したファイル名): prostrct promasys add.st DBフォルダ内に、PROMASYS.d2、PROMASYS.d3等のファイルが追加されていることが確認出来れば成功です。 4.データベースの再起動 OpenEdge ExplorerツールからDBコンポーネントを全て手動で起動させるか、サーバーマシンを再起動させて下さい。 肥大化状況の通知 DBの容量を、定期的にメールで送信することが可能です。設定していると、下記の様なメッセージが定期的にメール配信されます: ** DO NOT REPLY TO THIS MAIL ** Database Extent Status for database PROMASYS as on 2014/10/01 00 00 00.500+09 00 INFORMATION Fill status of Extent D \PROMASYS\PROMASYS.db is 0.031% INFORMATION Fill status of Extent D \PROMASYS\Promasys.b1 is 1.379% INFORMATION Fill status of Extent D \PROMASYS\Promasys.d1 is 31.476% Recommended Action No action is required 肥大化の状況が確認でき、DB拡張を行うべきかがタイムリーに判断し易くなります。以下に、手順について記述します。詳細についてはマニュアルの「Monitoring Database Growth」を参照下さい。 1.Promasys Daemonのメール設定を確認 データベースの肥大化の状況は、PromasysのDaemonに設定されているメールクライアントを利用します。従って、こちらが正しく設定されていないと、メールの配信が行われません。設定方法については、マニュアルの「Job Scheduler」を参照して下さい。正しく設定しているかわからない場合:WebCRFからのパスワードリセット、レポートの自動配信(Job Scheduler)、クエリの自動メール送信を問題無く利用している場合は、メールクライアントが正しく設定されております。 2.データベースの肥大化をモニタリングするタスクの追加 タスク追加の手順を下記に示します。青文字の部分は、Progress OpenEdgeのインストールフォルダに読み替え、赤文字の部分はPromasysデータベースフォルダの実際のパスに読み替えて設定して下さい。それぞれのパスは、Promasys Installation and Configuration Sheetsに記述されております。 スタートメニュー>>コントロールパネル>>システムとセキュリティ>>管理ツール>>タスクスケジュラーを起動 右のメニューから「タスクの作成」をクリック 全般タブ:名前と説明を設定、セキュリティオプションで必ず【ユーザーがログオンしているかどうかにかかわらず実行する】及び【最上位の特権で実行する】にチェックを入れます。 トリガータブ:新規トリガーを追加し、【タスクの開始】に「スケジュールに従う」を、【設定】にメール配信を希望する初回配信日時及び間隔を設定し、【OK】をクリックします。その他の設定は既定値でOKです。 操作タブ:新規操作を追加し、【操作】に「プログラムを開始」を、【プログラム/スクリプト】に「"e \progress\bin\prowin32.exe"」を、【因数の追加】に下記の記述を、【開始】に「"e \promasys"」を設定し、OKをクリックします。 条件タブ:既定値でOKです。 設定タブ:【タスクを要求時に実行する】にチェックを入れ、それ以外の全ての項目からチェックを外して下さい。 操作タブの因数には、下記を記述。赤時は実際のパスに置き換えて下さい: -pf e \promasys\Startup.pf -basekey INI -ininame promasys.ini -T c \temp -pf e \promasys\connect.pf -p ExtentStatus.r -param administrator@yourdomain.com administrator@yourdomain.comには、肥大化状況のレポートを送信する宛先を入力して下さい。また、「c \temp」が無い場合は、「c \」内に「temp」というフォルダを作成して下さい。 3.タスクを手動で実行 最後に、タスクを手動で実行して、レポート配信が確認出来れば成功です。 コメント 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/saikyousyujinnkou3/pages/757.html
【作品名】Tasty Planet Forever 【ジャンル】ゲーム 【名前】巨大化する空飛ぶペンギン 【属性】巨大化する空飛ぶペンギン 【大きさ】3.71kmの大きさのペンギン 【攻撃力】小さかった頃に、自分と同じ大きさのヘリコプターや戦車やビルや島を一瞬で食って消化できる 体のどこに当たっても、相手が背後から触れてきても一瞬で食って消化吸収できる 今はそれが大きさ相応になった状態 【防御力】10mサイズの時に13m程の戦車が一撃で消滅する戦車砲の直撃に10発ぐらい耐えられる 今はそれが大きさ相応になった状態 【素早さ】10mサイズの時に戦車砲と同速で飛行可能 10mサイズの時に戦車砲を7m先から見てから避けられる 今はそれが大きさ相応になった状態 【備考】主人公が明言されていないゲーム、プレイヤーキャラの一体を参戦 vol.127 808格無しさん2020/07/04(土) 17 37 59.98ID OhzXi1Y1 巨大化する空飛ぶペンギン 3.71km吸収7m戦車砲反応 △自機(タンクフォース)吸収できないが倒されない △飛田マコトwith衛宮まな 吸収できないが倒されない ×ZIG吸収できない砲撃負け 〇エスパーボーイ吸収勝ち 〇人間男(秘宝伝説)吸収勝ち 〇アドルーンwithセレムwithサーディオンⅨ 吸収勝ち
https://w.atwiki.jp/wabu/pages/83.html
『鉄道』は平井喜久松さんの著書で,岩波書店から1936年(昭和11年)に第1刷が,1949年(昭和24年)に第7刷が発行されました。 このページには「索引」を収録。 目次 索引ア イ ウ エ オ カ キ ク ケ コ 発行年 参考文献 関連ブログ コメント メール 索引 ア アーチ橋 15 合図 239 アプト式鉄道 266 歩板 51 暗渠 12,13 安全側線 108, 115 イ 石垣 11 犬釘 42 入換線 114 入換所要時間 189 ウ 受渡線 117 上家 174 上家の幅員,高さ (埠頭) 175 運転速度 212 運転方式 215 運輸数量 259 エ 営業費 254 盈車線 114 盈車線群 118 駅 111 駅別線 118 駅別仕分線 185, 187 駅本屋 119 駅前広場 123 エレベーター 132 オ 押上線の数 (ハンプ) 194 押上速度 (ハンプ) 191 大仕分線群 118 カ カー・ウォッシング・マシン 143 カーダンパー 179 カー・リターダー 192 開渠 12, 13 回送車線 115 架空索道 269 架樋 12 嵩置工 281 貸切扱 128 貨車修繕線 114 貨車操車場 112, 182 貨車転車台 134 貨車留置線 114 加速度抵抗 206 片持梁式桁橋 15 架道橋 14 可動橋 18 可動フログ 78 貨物上家 130 貨物運輸数量 260 貨物自動車による小口扱貨物の運搬作業 167 貨物設備 170 貨物炭の船積装置 177 貨物停車場 111, 163 貨物通路 131 貨物積卸線 114 貨物取扱機械設備 131 貨物の扱種別 128 貨物の居宅集配作業 167 貨物ホーム 128 下路橋 20 緩急車線 114 カントまたは高度 60 カントの逓減距離 62 岸壁 174 緩和曲線 64 キ 機械連動装置 242, 248 軌間 (gauge) 7 機関車回線 114 機関車牽引力 197 機関車牽引定数 207 機関車庫 135 機関車庫線 115 機関車タンクの容量 138 機関車馬力 198 機関車待合線 115 汽缶能力 197 軌条 21 基本軌条 74 橋上護輪軌条 51 護輪軌条 48 尖端軌条 74 中継軌条 28 磨耗防止軌条 49 脱線防止軌条 49 軌条圧力 52 軌条各部の名称 21 軌条釘 41 軌条交換 276 軌条接目 27 軌条接目遊間整正 280 軌条の許容応力および許容圧力 60 軌条支材 44 軌条の匐(ふく)進 46 軌条の振替および転換 278 軌条の曲げモーメント 52 氣笛吹鳴警標 90 軌道 4, 21 軌道応力 51 軌道管理の実行方法 274 軌道敷設 71 軌道附属品 41 軌道修理作業 275 軌道の中心間隔 10 軌道の凍上 283 軌道力学 51 軌道用器具 71 基本軌条と尖端軌条との間隔 75 木枕木 31 軌面整正 278 軌面凍上防止法 285 客貨車修繕設備 144 客車庫線 113 客車修繕線 114 客車操車線 112, 161 客車留置線 113 給水設備 138 給炭設備 136 給炭線 115 橋上護輪軌条 51 橋梁 13 曲線 8 緩和曲線 64 縦曲線 67 反向曲線 9 複心曲線 9 曲線抵抗 204 曲線における最大速度 62 曲線の経済的考察 262 曲線の障害 262 曲線半径と中心角との関係 8 曲線半径の最小限度 9 曲線標 89 曲線フログ 80 曲線分岐器 80, 85 曲線補正 206 距離の経済的考察 261 距離標 89 許容速度 60 均衡速度 208 ク 空車線 114 空車線群 118 車止 107 クレーン 132 ジブ・クレーン 132 ガントリー・クレーン 132 ケ 計重台 134 計重台線 114 ゲージ・ストラット 47 ゲージ・タイ 47 牽引重量 207 牽引定数 207, 209 検車線 114 懸垂鉄道 271 建設費 253 建築限界 4 コ 溝渠 94 溝橋 13 構橋 14 鋼索鉄道 267 交叉旅客停車場 153 交叉 73 渡り付交叉,片渡り交叉 73 両渡り交叉,菱形交叉 74 交叉渡り線 74 工場線 116 工場引込線 116 勾配 9 制限勾配 208, 264 相当勾配 206 惰力勾配 209 補助勾配 265 補正勾配 206 勾配抵抗 204 勾配の経済的考察 263 勾配標 89 護岸 110 小口扱 128 小口扱貨物整理場 130 小仕分線群 118 跨線橋 14 跨線道路橋 14 固定軸距 62 固定フログ 77 護輪器 48, 81 護輪軌条 48 コンクリート道床 39 コンベヤー 132 ベルト・コンベヤー 132, 180 チェーン・コンベヤー 132 ホーム・コンベヤー 132 発行年 昭和十一年五月五日 第一刷発行 昭和二十四年七月五日 第七刷発行 定価 百七拾五円 著者 平井喜久松(ひらい きくまつ) 東京都千代田区神田一ツ橋二丁目三番地 発行者 岩波雄二郎 東京都西多摩郡霞村根ケ布三八五番地 印刷者 山田一雄 発行所 東京都千代田区 神田一ツ橋二ノ三 株式会社 岩波書店 会員番号 A109004号 落丁本乱丁本はお取替いたします 大化堂印刷・製本 参考文献 平井喜久松『鉄道』岩波書店,1936年5月15日 第1刷発行,1949年7月15日 第7刷発行 // // // // 関連ブログ #bf コメント 名前 コメント すべてのコメントを見る メール 名前 メールアドレス 内容 更新日:2010年12月06日
https://w.atwiki.jp/hmiku/pages/30615.html
【検索用 きゅうひこりょうえみすてりゐてんけつ 登録タグ 2014年 JASRAC管理曲 VOCALOID き てにをは ロウ 七星 初音ミク 曲 曲か 殿堂入り】 + 目次 目次 曲紹介 歌詞 コメント 作詞:てにをは 作曲:てにをは 編曲:てにをは イラスト:ロウ 動画:七星 唄:初音ミク 曲紹介 愛しアヤカシどこへ行く 曲名:『キュウビ御霊会ミステリヰ ~転結~』(きゅうびごりょうえみすてりゐ ~てんけつ〜) 妖怪少年探偵團シリーズの第五弾。 キャストは 月岡春足・・・梶裕貴氏 鉄輪弥人・・・木村良平氏 南方うつひ・・・戸松遥氏 路雪・・・小林ゆう氏 ナレーション・・・藤原啓治氏 。 CD 『モノノケミステリヰ』 収録曲。 歌詞 雪女、犬神、枕返し、座敷童子、二口女、絡新婦 見越し入道、迷い家、精螻蛄、火車、貉、蟹坊主、 鎌鼬、がしゃどくろ、猫又、わいら、足洗邸、土蜘蛛 九尾のキツネ 妖怪特区ヲ作ルノジャ コノ地ニ我ラノ楽園築クノジャ 最後ノ最後ニ立チハダカル者 豈図ランヤ童デアッタトハ 轟く雷鳴ドロドロゴロゴロ 事件の真相吐露吐露吐露吐露 おやめになって アレアレアーレー ゾクゾク 愛しアヤカシどこへ行く あんなにも溢れてたのに 怖かろうとすごんでも 街灯に溶けた 九本アッタラ大変ジャ 尻尾ノ手入レモマッタク楽ジャナイ 憎マレ役ナラ心地ヨイ ソレ我ラノ住処を奪取奪取奪取 蠢く礎カミサマイカサマ 天竺瑞獣禍々禍々 よいではないか アレアレアーレー ゾクゾク 儚き者 墓無き者 あんなにも溢れてたのに 怖がろうと出かけても 姿は視えず 「祝福の婚礼の陰に、恋破れ、世をはかなんで 自ら命を絶つ文学青年がいるように、 この世は光と闇が半々だ。 キュウビとは悪をなし、世界のバランスを 保つために生まれた、ある種の装置。」 縛って have a tie あの子は口幅ったい ドレミゼラブル 恐れ見よ 盆 挿話 鬼が来たりて笛を吹くなり御静聴 あの子が欲しい あの子じゃわかりゃせんわ 大火対価大化退化大過 半か丁か半か丁か半か 「キュウビは思う。悪には悪の故郷が必要だ。」 「けれど、この国にはそんな場所が残っているだろうか?」 「どこもかしこも人間だらけ。それならどうする?」 「どうする?」 「作るんだ。居場所がないなら作ればいい。」 「勝ち取るんだ。この手で勝ち取るんだ。 のけものにされた妖怪たちが自由に暮らせる土地を!」 「街を」 「街を」 「ナワバリを」 「ナワバリを」 「国を」 「国を」 「『ぱらヰそ』を」 「しかし、夢は夢。」 儚き者 墓無き者 あんなにも溢れてたのに 怖がろうと出かけても 姿は視えず アヤカシどこへ行く あんなにも溢れてたのに 怖かろうとすごんでも 街灯に溶けた キュウビのキツネは、良い暇潰しであったと嗤い、明けゆく空に姿を消した。 でも、滅びたわけじゃない。妖怪達はいつでもそこにいる。 きみの、隣にも。 コメント なんか切なくなった -- 名無しさん (2014-10-25 11 02 59) 追加乙です。 ↑確かに切なくなりますね。 儚き者墓 無き者 の所が好きです。 -- 玖冥 (2014-10-25 18 41 19) シリーズの中でこの曲が一番好きです!てにをはさんの曲は本当に外れがないです。 -- 名無しさん (2014-10-27 11 39 42) 駄目だ泣ける。てにをはさんの曲は殆ど好きだけど、この辺りは明らかなED臭出てるからちょっと苦手。 -- 名無し (2014-10-28 16 59 52) さすが作業が早い!乙です! -- 春足様LOVE (2014-11-13 16 20 12) 最後の「君の 隣にも」ってところヤバかった。梶さんメッチャあってた…お金相当使ってるんだろうね。 -- 春足様LOVE (2014-11-13 16 22 05) have a a tieではなくhave a tie です。 -- 名無しさん (2014-11-17 18 01 39) いい曲ですね!モノノケミステリーヰの中で一番好きです!! -- さくら (2015-01-25 13 01 14) 転調の言葉遊びにハマった! -- 名無しさん (2015-01-25 13 54 16) 最後の語りを追記していただけると嬉しいです。 -- 名無しさん (2015-02-09 14 20 20) 台詞のところが好きです -- ゆう (2015-02-23 19 07 20) てにをは節と言葉遊びと声優さんの見事な合わせ技。いい意味でどこか切なくなります -- バ化バ化 (2015-10-27 10 56 31) これ聴いてますます妖怪を好きになりました。妖怪達を絶対忘れたりなんかしないぞ!あとpvのおとろしが可愛い -- 名無しさん (2015-12-25 17 35 26) 儚き者…のところが大好きです! いい歌ですよね‼︎ -- ANGELS NIGHTMARE (2016-06-14 22 05 51) 儚きもの墓なきもの、の所切ないな~。いい(^-^)/ -- 名無しさん (2017-01-06 13 57 47) 好き。 -- やまだ (2017-02-13 10 38 08) 闇が減っていって、妖怪が少なくなって、それで探偵團の仕事がなくなった。それでも、妖怪はそばに居るよっていう終わり方かな? -- 名無しさん (2019-08-15 13 13 14) 妖怪はいなくなったりなんてしないよ -- 名無しさん (2019-08-18 20 02 40) ED臭ヤバイ。泣く -- 名無しさん (2019-08-18 20 05 17) ヴィランに負けるな -- 名無しさん (2020-02-22 17 59 08) 「盆 挿話」のところがボンソワールみたいに聞こえるの自分だけ? -- 名無しさん (2024-03-21 20 27 17) 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/nadebook/pages/112.html
【最大化ボタン有効変更】メンバ関数 フォームの右上にある最大化ボタン「□」を有効にしたり無効にしたりできます。 ユーザーにウインドウを最大化されたくない場合やデザインにこだわる場合などに使用します。 最大化ボタンが使えなくなっている。 動作の実行 (部品名)をオンに最大化ボタン有効変更。 (部品名)をオフに最大化ボタン有効変更。 設定できる値 オン(または1) オフ(または0) ***** サンプル ***** ボタン状態はオフ。 ボタンAとはボタン。 ボタンAをクリックした時は 母艦をボタン状態に最大化ボタン有効変更。 ボタン状態はNOT(ボタン状態)。 ***** ここまで *****
https://w.atwiki.jp/zenmaitako/pages/785.html
《擬似呪文能力威力最大化》[一般]Maximize Spell-Like Ability 君は1種類の擬似呪文能力を最大の威力を発揮するように使用できる。 前提条件: 術者レベル6以上の擬似呪文能力。 利益: 君の所有する擬似呪文能力の中から1つを選択すること(制限あり、後述)。その擬似呪文能力は、1日3回、最大の威力をもって使用できるようになる(ただしその擬似呪文能力の使用回数制限以内で)。威力最大化された擬似呪文能力の変数となっている効果はすべて最大の値をとるようになる。つまり最大ダメージを与えたり、最大ポイント数だけヒット・ポイントを治癒したり、最大数の目標に作用を及ぼしたりする。たとえば10レベル・ウォーロックの威力最大化された怪光線は1日3回、36ポイントのダメージを与える。威力最大化しても、セーヴィング・スローや(君がディスペル・マジックを発動する時に行なうような)対抗ロールには何の作用もない。ランダムな変数のない擬似呪文能力は威力最大化の作用を受けない。 威力強化された上に威力最大化された擬似呪文能力は、両方の特技から別々に利益を得る。これにより、最大の結果に通常のロール結果の1/2を加えることになる。たとえば威力強化された上に威力最大化されたファイアー・メフィットのスコーチング・レイは、24ポイントに加えて4d6ポイントの半分のダメージを与える。 君がこの特技のために選択できる擬似呪文能力は、呪文レベルが君の術者レベルの1/2(切り捨て)-2以下の呪文を複製するものだけである。術者レベルと選択可能な擬似呪文能力の呪文レベルの関係は、『モンスター・マニュアル』p.303右段の表の「威力強化に必要な術者レベル」の項と同じなので参照されたい(下記にも転載)。 呪文レベル 威力最大化に必要な術者レベル 0 4 1 6 2 8 3 10 4 12 5 14 6 16 7 18 8 20 9 ― 特殊: この特技は複数回修得できる。1度修得するたびに、この特技を別の1つの擬似呪文能力に適用できるようになる。 出典: 『秘術大全』p.73 関連項目 特技
https://w.atwiki.jp/parepan/pages/110.html
画面の最大化ボタンの有効無効の設定は フォームを選択して、 プロパティ画面のレイアウトの「AutoSize」の設定 true 最大化を無効 false 最大化を有効 ----
https://w.atwiki.jp/aniwotawiki/pages/44076.html
登録日:2020/02/18 Tue 23 00 00 更新日:2024/07/25 Thu 19 26 39 所要時間:約 25 分で読めます ▽タグ一覧 ヨーロッパ 世界史 中国史 周 周公旦 土地政策 地方分権 地方行政 封建制 幕藩体制 政治体制 日本史 春秋戦国時代 武家 藩 諸侯 貴族 郡県制 領主 騎士 「封建制(ほうけんせい)」とは、国家の統治システムの一つ。 洋の東西を問わず主に古代から中世に利用される、地方行政システム。 読みは「ふうけんせい」ではなく「ほうけんせい」である。 以下、動詞として「封じる」という言葉も頻出するが、いずれも読みは「封(ほう)じる」であり、意味も「封印(ふういん)」ではなく「任命」に近い。 【概要】 【郡県制】 【封建制の基本システム】 【各文化圏の封建制】◇中国 ◇ヨーロッパ ◇日本 【その他】 【概要】 ごく簡単に言うと「地方の運営を、地方政権に一任するシステム」である。 対義語は「郡県制」。郡県制とは、「地方の運営を、中央政府が派遣する官僚が運営するシステム」である。 日本史では、封建制とは江戸時代の幕藩体制、郡県制は明治時代以降の現行システムを想定するとわかりやすい。 【郡県制】 まず、現代日本は「郡県制」である。あまりそう呼ばれないし普段意識もされないが、概念には該当するため便宜上こう呼ぶ。 日本には47の都道府県があり、その下に市区町村といった自治体が無数にある。 まず、この地方公共団体は、独立した政治組織ではなく日本の行政機関の一部である。 戦後の日本では地方分権・地方自治の方針のもとに多大な権限が与えられており(*1)地方政府とも言われるが、基本的に政府や各大臣の下にあり、勧告や措置を受ける立場にある(*2)。 多大な自治権を有してはいるが、あくまで日本国政府の支配下にいるのだ。 この都道府県および市区町村にはそれぞれ長官がいる。県知事、市長といった面々だ。 長官は選挙で選ばれており、地方分権の元に多大な権限を持ってはいるが、日本政府に対して従属する立場にある(*3)。 県知事は県知事選挙を通じて住民の投票によって選任されるが、あくまで日本国の一行政機関の長=地方公務員であり(*4)、都道府県の「王」として好き勝手できる地位ではない。 また県の役所には大小多数の職員がいるが、彼らもまた日本政府の行政機関に勤務する地方公務員であり、決して知事の「家来」ではない。 もし、どこぞの知事が「日本の政治は間違っている。俺がこれからこの県で兵士を集め軍隊を結成し、東京に進撃して、首相を追い出し、日本を支配する!」と言い出した場合、 県知事の部下になっている公務員は誰一人としてこんな妄言に従ってはいけないし、従う義務がそもそもない。 長官も職員も、日本国に所属する「公務員」であるのだ。 「支配者」ではなく「一人の役人」である以上、特権階級では決してない。 地方分権を謳う日本国の地方行政を担う重職である以上、かなり大きな裁量権は与えられているが、権限以上の権力を行使したり規定に反する行動をとれば、どれほどの大官だろうが弾劾され処罰される。 逆に、功績が大きければまた別のポストを与えられて異動になることもある。県知事から国会議員になった人や挑戦した人が多いのは既知だろう。 死んでしまった場合も、その息子が父親の地位を世襲することはできない。息子はあくまで息子という独立した人間であり、息子が役人であったとしても、現在担当している役職以上のものは与えられない。 もちろん、父からの人脈や知名度、貯め込まれた資金など目に見えない遺産はあり(*5)、そうした遺産を継ぐ者として「名門」と言われもするが、それはシステムとは無関係。 これらを日本政府の観点から見た場合、全国各地津々浦々に散らばり日本を運営する公務員は、日本国の中央政府(内閣府)が直接・間接含めて全て掌握している、という形をとる。 つまり郡県制とは「中央政府が、全国の官僚すべてをコントロール下に置き、国家全体を管理・運営するシステム」なのである。 郡県制において、国家を管理運営する役人は、全員が中央政府に所属する官僚なのだ(*6)。 このシステムのメリットは、全国を管理できるためやれることが大きく、マクロ的な視野に立って大きな仕事ができる点にある。 例えば、悪人や犯罪組織が出現し残虐な犯罪を犯してしかも逃亡した場合、全国の公務員(警察など)を総動員して網の目を張り巡らせば、国のどこにいようともあぶり出し、逮捕して法の裁きを受けさせることができる。 国家を縦断する大河が大氾濫を起こすかもしれない。氾濫を起こす前に全国の国民を徴用して工事を行えば、治水作業はスムーズに、しかも大河全体を見渡しながら効率的に行えるだろう。 国家を運営するならば、官僚システムを発達させた郡県制は確かに優れている。 現代においてはほとんどの国は、その国内において郡県制に似たタイプのシステムを採用している(*7)。 こうしたシステムは官僚システムが整っているならば効率的である。しかし官僚システムが整っていなければ、そもそもこういったシステムを敷くこと自体が難しい。 国の規模にもよるが、首都と地方が何百キロ、何千キロも離れている場合もあるだろう。 そんな遠方まで指示を出すのは、道路や鉄道や電話線が急速に発達した近代、インターネットが津々浦々まで伸びた現代ならともかく、文化・技術が未発達な時代や地域には困難である。 世界中の役人を中央政府が管理・コントロールするというのも、実際には難しい。 業務のことではない。というか「役人の管理」といっても、役人の細かい実務内容まで中央政府が指示することは最初から不可能だし非効率だ。 この場合の「中央政府による役人の管理」とは、人事、つまり「役人に給料を出す」ことを指す。 しかし国内の全ての役人の給料を賄うというのは、政府の財源や徴税システムなどに余力がなければ難しい。世の中カネだが、そのカネというものは国家でも容易に御すことが出来ないもの。大体の国が衰退する原因は財政難である。 郡県制、中央集権型の官僚システムは、軌道に乗れば実に効率的だが、軌道に乗せるのが大変なのだ。 したがって、郡県制を整えられない世界・時代では、必然的に封建制を施行することになる。 なお、本稿では先に郡県制を説明したが、あくまで現在郡県制の世界に住む日本人のためにこうしたまで。 歴史的には多くの場合、封建制がまず先にあり、郡県制の登場はそのあとであることを明記しておく(*8)。 【封建制の基本システム】 さてここでようやく封建制の解説に移る。 封建制とは簡単に言うと「地方の運営を地方政権に一任するシステム」である。 郡県制では、中央政府は国家全体を一律に管理したが、封建制では、中央政府は首都近郊だけを管理・運営する。 首都圏を離れた各地域には、それぞれの土地を治める「領主」を置く。 それら「地方領主」は、自分たちの「地方政権」を作り上げ、担当地域の統治一切を担当する。 徴税や徴兵、インフラ整備や経済政策、立法や司法などにも責任と権限を持つ。 またその地方に所属する官僚たちも地方領主・地方政権に所属する。給料を与えるのもはたまたクビにするのも、地方領主であって中央政府ではない。 彼らの地位も世襲される。領主の座は異変がなければそれぞれの太子が継ぐし、麾下の役人たちも領主の「家臣」として存在する。 大きな国のなかに一つの中央政府と多数の地方政府が併存し、 それぞれの地方政府は独立して自領を管理・運営し、中央政府は地方小国の管轄エリアにはあまり口を出さない、というシステムである。 言ってしまえば、中央政府と地方政府は「ほぼ対等の国同士」であり、中央政府はあくまで「地方政権たちの盟主」にすぎないのだ。 日本では、江戸時代までの幕藩体制がこれに該当した。 中央政府=江戸幕府が直接に管理・運営したのは、江戸を中心とした首都圏および各地の幕府直営地(天領)のみ。 地方の運営を行ったのは地方政府=藩であり、藩の領内の統治にはかなりの程度の自治権が認められていた。 江戸時代末期には長州藩が兵を束ねて江戸に進撃したことがある(*9)が、このときの長州藩主の命令で江戸に攻め込んだ長州藩士は「お上への裏切り」とはみなされない。 長州藩士とは「長州藩に所属する武士」であり、彼らが「長州藩主の命令に基づき江戸幕府に攻め込む」という行動は、「江戸幕府への反逆」には該当せず「主=長州藩への忠勤」となるのだ。 長州藩士の所属先はあくまで長州藩。江戸幕府には所属していないのである。 もちろん「将軍」と「大名」は主従関係であり、その関係性の確認のために参勤交代や手伝普請は存在したが(*10)。 封建制度下において、中央政府と地方政府はあくまでも「ほぼ対等の政府」なのだ。 もちろん、実際は対等ではない。少なくとも平等ではない。 上記の通り「将軍」と「大名」は主従関係にある。 ほとんどの場合、中央政府は、地方諸侯よりも強大な国力や一頭抜けた権威を有する。 例えば江戸時代において、大藩といわれたのは百万石の加賀藩、七十七万石の薩摩藩、六十二万石の仙台藩である。 しかし江戸幕府の天領は四百万石といわれた。最大の藩である加賀藩の四倍、また三大藩を合わせたよりもさらに大きい。 また中央政府は、これら現実の国力・武力や、なんらかの権威(*11)を駆使して、地方政府に対して一定以上の強制力=権力を発揮する。 例えば江戸幕府は、藩主に対してその乱行や失政を咎めて藩主の交代を命じたり、土地を取り上げたり、果ては藩を解体させることもできた。いわゆる「改易」である。 「忠臣蔵」で有名な赤穂藩は、藩主・浅野内匠頭の犯罪によって江戸幕府によって取り潰されたことで知られる(*12)。 江戸幕府はかなりの権限を大名たちに移譲していたが、人事権だけは手放さなかったのだ(*13)。 さらに中央政府は盟主としての権威・権力により、各地の地方政府に対して税の上納・兵力の供出などを命令できる。 ある地方政府が、勝手に隣国を攻め滅ぼして併合するなどの暴挙に出て中央政府が対処に乗り出す場合、 中央政府は直属の兵を出すのはもちろんだが、各地の諸侯にも「兵を出して王のもとに集結し、王の指揮下で反乱諸侯を討伐せよ」と命令し、全世界の兵力で、少数の反徒をたたき潰すことができる。 日本史で言うところの「いざ鎌倉」である。 逆に言うと、盟主たる中央政府には求められる義務がある。 端的に言うと天下秩序の維持である。どこかの国が他国に攻め込んだり、あるいは異民族が攻め込んできた場合、盟主たる中央政府は、自前の戦力や諸侯の戦力を動員してこの戦乱や紛争を迅速に鎮める義務がある。 盟主とは「盟約の主」である。その盟(誓い)に対する義務があるのだ。 そうした「義務」を盟主が果たせない場合、諸侯もまた盟主に対する本来の義務を破棄して、事態を解決できる「新しい盟主」を探すことになる。 「いざ鎌倉」に代表される中央政府の権利は、中央政府が盟主であるための義務でもあるのだ。それら義務を果たせないなら、王はもはや盟主ではなく、単なる一諸侯である。 そうした中央政府の優越権・義務はあるが、基本的には地方政府と中央政府は盟約によって結ばれた、対等の関係である。 こうしたシステムは、中央政府の統治能力や文章などの情報処理能力が低く、効率的な地方統治ができない場合に行なわれる。 中央政府が国家全域で官僚を掌握する郡県制と比べた場合、各領地が独立しているため、 大運河全体の整備のような、国家全体レベルの大規模な業務ができない 犯罪者が領地を越えて逃亡した場合、逃亡先に対して引き渡しを求めなければならず、交渉が難儀(*14) 東方領地で飢饉が起き西方領地で豊作というような場合でも、西で余っている食料を東の方に回すのにいちいち手続きがいる、更に手続きが上手くいったとしても各領地を経由する間にピンハネや中抜きと言ったリスクが付きまとう といった、「国境」を境とした煩雑さのほか、 国境が多いため、領主同士の紛争が起きやすい 各地の役人は地方領主・地方政府のみに専属するため、中央政府の指示を地方に広げられない そもそも軍権すら地方領主が握っているため、領主が自分の意志で軍事行動を起こせる 中央政府はあくまで「盟主」に過ぎず、その権威を地方が認めない又は地方に認めさせられなければそれで終わりであり、権力の変動が起きやすい 元より独立性がある上に「盟主」の権限が小さいので地方領主が保身の為に他の勢力も「盟主」と仰いだり、より強大な勢力に領地ごと容易く寝返る可能性もある(*15)。 といった、紛争が頻発、簡単に勢力が瓦解する一面も強い。 しかしこうしたデメリットに対して、 中央政府は直轄地(*16)だけを統治すればいいため、負担が少なくコストも安く済む 各領地の領主は地元の名士である事が多いので、地方の風土や条件に適応した統治がしやすくなる 国境があることを活かして貿易・関税徴収などが可能(*17) 失政の類があっても領主に責任を押し付ければ中央政府の責任問題にはなりにくい。 といったメリットもある。 軍事的な紛争・挙兵が起きやすいことも、 反乱しそうな勢力を、土地のやせた辺境や紛争の激しい難地に送り込み、外征どころでなくさせる但し辺境や紛争地帯は特性上、中央政府の干渉を受けにくくある程度の独立性や軍事力を確保しやすいという意味合いも持つので領主が上手くデメリットを克服できれば勢力を大きく拡大でき、中央政府にとって代わられる可能性もあると言う諸刃の剣であるともいえる。 仲の悪い諸侯を隣接させることで、お互いに牽制させる(*18) 危険な諸侯の領土をあえて小さくし、反乱してもすぐ潰せるようにする 人質を供出させる、大河治水などの難事業を押し付ける、などで国力を削ぐ などの対処は可能。 なにより、技術や文化が整っていない時代・情勢下で、できもしない全国統治を中央政府がしなくて済むというのは、限りなく大きなメリットである。 現代でも、中央政府に力のない失敗国家にあっては、地方軍閥を半ば黙認することで内戦だけでも起こさず国を保とうとすることがあるが、これもある種の封建制かもしれない。 しくじったら「何もかもおしまいだぁ」になりかねないが、まあそれはどんな制度でも言えることか。 そのため、国家システムがある程度発展した文化圏のほとんどで、古代から中世・近世にかけて封建システムが普及した。 ヨーロッパにおいては封建制から絶対王政への移行が「中世」から「近世」への分岐となったほど。 【各文化圏の封建制】 ◇中国 そもそも「封建制」「郡県制」自体が中国における用語である。そのため、狭義には封建制・郡県制は中国のみに用いるべしとする論もある。 封建制については自然発生。 古代において出現した巨大な城郭都市が、武力や技術力をテコに周辺の都市国家に対して優位を誇り、盟主として認めさせたことが端緒となった。 夏王朝、殷王朝の間は、だれそれを領主に任ずる「封建」というより、もとから現地に存在した地方豪族に対して「王に服属した」というお墨付きを与えて服属させていたらしい。 しかし周王朝は、殷王朝とそれに与する諸侯を打破したのち、太公望を筆頭とする功臣や、王族の有力者などを各地方に赴任させる、という方式を取った。 そのため厳密な意味での「封建制」、領主を領国に封じて建国させる、という形式をとったのは周のみとなる。 周の封建事情は周公旦の項目へ。 ちなみに周の文王が王号を名乗ったのは、とある諸侯が争いの調停を周に求めたため。 当時周はまだ諸侯の一つにすぎず、殷には王がいた。しかし諸侯は、争いの調停を殷にではなく周に求めた。 これは諸侯のあいだで「殷を王として認めない」「周こそ王にふさわしい」という認識が広まったことを示している。 周侯姫昌が「王」と名乗ったのはこのためである。逆に言うと、王というのが盟主に過ぎず、盟主こそが王になることを示すエピソードといえる。 やがて周王朝は衰退し、春秋戦国時代に移行。斉の桓公・晋の文公といった「覇者」が生じた。 覇者は、各地の諸侯を呼び集めた「会盟」を挙行してその盟主となり、その「盟約」に基づいて、諸侯に対して内政への関与を行ったり、諸侯を率いて悪事を働く諸侯を討伐したり、あるいは諸侯連合を率いて夷狄へと遠征した。 …しかし「諸侯の盟主となる」「諸侯の内政に干渉する」「諸侯を率いて軍事行動を起こす」などの行動は、実は封建制における中央政府(王)のとる行動である。 つまり覇者とは、「王号なき王者」そのもの、かつての文王のような存在であった。 孔子が覇者(なかんずく管仲)を嫌ったのは、実は彼ら覇者が周王に対する「謀反人」、周王を王として認めず、自ら王として振る舞った「僭越者」だったからである。 しかし現実に、当時斉を「覇者」とし、その指揮に服するのに異を唱えた諸侯はいなかった。当の周王ですら、自ら会盟に参加し、文公を覇者として讃えたものである。 つまり、当時においても封建制の王とは「盟主」に過ぎず、統率力を亡くした周王は、王に値しないとみられていたのだ。自他共に。 ただ、現実に周王を倒すでも取って代わるでもなく、一時的な盟主にしかなりえなかった「覇者」は一代限りで長続きせず、中華全体の主導権を握ったのも晋の文公(短期間)までのことであった。 以後の「覇者」は地方における盟主に過ぎない。例えば秦の穆公は中原の覇者ではなく西域の覇者にとどまり、周朝にも中原諸侯にも無関心を貫いた。宋の襄公は論外 春秋戦国時代も後半期にはいると、中国の封建制に変化が生じた。 中国は西周時代を通じて漢字・漢文が発展し、春秋戦国時代には文章活動が全盛期を迎える。 さらには政治システムを研究・分析して発展させるものまで登場し、官僚システムが高度な発展を遂げる。 技術的にも、公用道路、運河、長城などが整備され、もともと複数の大河が東西を縦断し、平地も多い中国で、交通網も大いに発展した。 ちなみに春秋時代後半には周の王権は比するべくもなく落ちぶれていた。祭祀を主催する立場すら失い、戦国時代には各地の諸侯が、 本来周王にしか認められないはずの「王」を名乗り始めた。もちろんそれを咎める能力なんて無い。 それらを背景として、各国内部で郡県制が施行され始める。 当初は各国内部のみの限定的な運用だったが、西部の秦において商鞅が改革を行い、郡県制、官僚システム、封建貴族の削減、といった困難な改革を一気に推進。 最終的に、官僚システム・郡県制・権力論・支配体制論を、法家の韓非子と始皇帝の師弟が完成させた。 始皇帝は天下を統一して、中国文化圏全体に郡県制を施行した。 このシステムは以後中国に定着。一時的な妥協(劉邦の郡国制など)や、全国の統治が立ち行かない時期(五胡十六国時代、五代十国時代など)はあったものの、封建制が本格的に蘇ることは無かった。 なお、いくらなんでも「すべての官僚を支配」できたわけではない。 地方官ともなれば特に、実務担当者として地方の有力者・事情通を雇い、補佐役として使うことが多かった。これを「胥吏」という。 働き次第で権力者に気に入られることもあるため、田舎の頭がいい人間には、国家試験の科挙よりも身近な昇進コースでもあった。 しかし胥吏は、帝国直属の官僚があくまで私的に雇う補佐官であり、厳密な意味での『官僚』ではない。 給料も雇い主のポケットマネーである。当然私的な出費がかかるため、中国における汚職の原因となる一面もあった。 といって、赴任する役人だけで行政が回るわけもなく、限りなく白に近いグレー的な存在であった。 また、中国内部においての明確な土地運営政策としての封建制こそなくなったものの、封建の名残といえるものは多少は残った。 内地においては「列侯」に名残を見出せる。 例えば関羽の封ぜられた「漢寿亭侯(*19)」のように、個人に爵位と領土を与え、世襲権も与えるケースである。 理屈は周代までの封建諸侯と同じだが、規模は比較にならないほど小さく(*20)、名誉職的なものである。 中国外地、つまり異民族の領域に対しては、その後も長らく「封建」の理屈が用いられた。 つまり、異民族勢力における有力者に金印などを与えて「王」に「封建する」という形式である。 例えば邪馬台国の卑弥呼は、魏(中国)から「倭王」に封じられた。これによって「倭は中国を盟主とする一国」と定めるとともに、「倭は中国が干渉しない独立国」とも認め、いわば共存の道を作ったのだ。 一般に「冊封体制」とよばれるが、「封」の字が用いられている通り、「異民族を対象とした封建制」である。 この「冊封体制」は「華夷思想」と一体で、異民族を蔑視する発想からきた政策と俗に言われるが、 実際は中華の実権が異民族に及ばないことを認めたうえで、不干渉と共存の名目を立てたシステムでもある(*21)。 国内では郡県制を敷いて統一し、外国には封建制を模して共存するというやり方は、悪名高い華夷思想と表裏一体の、合理性をも垣間見える。 ◇ヨーロッパ ゲームやラノベでもさんざん使われているが、中世ヨーロッパも典型的な封建制。フューダリズム(Feudalism)ともいう。 基本は上述のものと同じで、「中央政府」が多数の「地方政府」に対して、土地の統治権・自治権を認め、代わりに有事の際には兵を出すよう求めた。「いざ鎌倉」パターンである。 その意味では日本や中国における封建制と変わらない。 しかしヨーロッパの場合、封建制が行き過ぎて、細分化しすぎた点に特徴がある。 ヨーロッパの場合、「中央政府」ははじめローマ帝国であったが、ローマ帝国の無実化及び崩壊にともない、各地の王(フランス王、イギリス王など)が「中央政府」となり、貴族を爵位叙任を通じて封建領主=「地方政府」と見立てるようになった。 しかしその貴族もまた、領内の土地を細分化して中小貴族や騎士に分配し、土地の自治権と兵役義務を課したため、「国のなかに多数の国があり、そのなかにまた多数の国があり、その多数の国のなかにもまた多数の国がある」いう複雑怪奇な状況になった。 しかも封建システムにおいて、貴族は直属の上位貴族にしか所属しないため、命令系統は一段階下までにしか行かない。二段階下の貴族に命令を出すには、その貴族をまとめる中間貴族に話を通さないといけない。 「臣下の臣下は、臣下にあらず」とはこれを指す。 そのため指揮系統や命令条件は複雑化の一途をたどった。 王冠をかぶる王は実権がないが、宮廷でデカい顔をする大貴族にも実はあまり実権はなく、中級貴族も言うほど領内を動かせず、実際に統治を担う小貴族は非力すぎて…となった結果、煩雑な手続きを取って領内の貴族をいちいちかき集めないと、にっちもさっちもいかないという結果になった。 特にひどかったのが「神聖ローマ帝国」で、だいたいドイツとオーストリアにまたがる土地に300もの地方政府(領邦)があったことと、「大空位時代」を迎えるほど王権が無力化したことで知られる。 しかもここにカトリック教会も加わる。 カトリック教会は「皇帝に冠を授けるのは我らが教皇」と称した。これはつまり「皇帝を封じるのは教皇」、つまり封建システムの頂点に教皇が立つという理論である(*22)。 しかし、皇帝の任免権を教皇が握ろうという試みは、諸侯や貴族に「皇帝に任命されるのか教皇に任命されるのか」というさらなる混乱と口実を与え、ただでさえ複雑な封建システムをより煩雑化した。 カトリック教会自体が教皇領を持っていたり、各地の教会に対して「首長権」を名乗って教会を通じた支配を狙ったため、 教皇が「中央政府」、教区を「地方政府」とする別な封建システムまで出現。 おまけにカトリックの腐敗からプロテスタント運動が起き、宗派対立を口実とした対立はさらに激化。 むやみやたらな分封と聖俗分かたぬ権力の欲望が絡み合い、「封建的無秩序」という言葉まで生まれるに至った。 こうした封建的無秩序はドイツ・オーストリア・イタリアでひどかったが、フランスでは「太陽王」ルイ14世あたりから、大貴族の抑制・中央集権システムの敷衍が行われつつあった。 それでも制度上は封建システムのままであったが、中央政府(フランス王国)の強大化は為されており、並行する産業革命の進展などが影響し、次第に西洋における郡県制、中央集権システムが進んだ。 また、こうした封建的無秩序が「議会」の発展をもたらしたのも見過ごせない。 もともと西欧では、古代ギリシャの直接民主制、ローマ共和制の身分闘争の結果の民会の重視、ローマ皇帝即位における元老院と軍と民衆の推戴など、市民社会の声を重んじる伝統があった。 封建制から脱却するために中央集権化を図り、王が強大な権力を持った体制が絶対王政であった。 しかしその伝統は中世の神聖ローマ帝国(帝国議会)やフランス王国(三部会)にも存続しており、もともと諸侯だけを対象としていた議会の選挙権が、 やがて市民階層まで広がっていったことで、市民社会と直結する「国民国家」が登場(フランス革命)。 国民全体が国家と直結することで、国家もまた国家全体を統率する新しい体制となった。 さらにフランス王国など中央集権に成功していた国は、官僚システムによる地方統治=郡県制も可能となり、完全に封建制から脱却する。 ただ、封建的無秩序のひどかった中欧(*23)では、国民国家の登場も中央集権化も立ち遅れた。 議会が発展しなかった東欧(*24)では「国民国家」はいたずらに民族紛争を刺激するだけに終わり、ロシアなどを除き官僚システムも難航した(*25)。 また、国内における封建的無秩序こそ終わったものの、ヨーロッパを俯瞰すれば大国と小国が入り乱れて国境が複雑に入り組んでいるという構図は現在もあまり変わらない。 国内レベルでの中央集権化は為され新しい封建も無くなったが、ヨーロッパ全体、ヨーロッパ文化圏の統一と中央集権化はまったく考えもされていないのが現実である。 実はEUこそがその試みに近かったが…… ちなみに西欧式封建制(フェーダリズム)と中国式封建制の違いとして、中国式は「氏族的血縁関係」、西欧式は「双務的契約関係」と説明されることが多い。 つまり「西欧封建制は、諸侯にも王に対する義務がある(軍事貢献、税の供出など)が、王にもまた諸侯への義務がある(土地の保護など)。王がこの義務を果たせないなら契約は破棄される」というもので、 「対する中国は、血族的な繋がりであり、王=宗家に対して諸侯=分家が絶対的に服属するものであった」として、違いとする。 西洋封建制は中国封建制よりもシステマチックで合理的、といいたいのだろう。 しかし上述したように、中国式の封建制も結局は「盟約」「契約」によるものである。 殷末の諸侯が、問題を解決できない殷を見限り周侯・姫昌に頼んだことも、姫昌が諸侯からの外交紛争解決を以って「王」を名乗ったことも、 「盟主として諸侯を束ねられないならば王にあらず」、すなわち殷の紂王が王としての義務を履行しなかったから王として扱われなくなったことを示している。 斉の桓公などの覇者が会盟を挙行してその盟主となり、盟約を盾に諸侯を服属させたというのも、まさに「盟約=契約による双務的な封建システム」である。 しかも、覇者として明確に会盟を主導したのは斉の桓公と晋の文公だが、桓公は周王家ではない姜姓の人間であり、文公は周王家の分家筋の末裔であった。 にもかかわらず、諸侯は当たり前のようにその会盟に参加したし、周王さえ文公の呼び掛けに応じて、彼の覇権に加盟した。 中国の封建制も、血族や氏族などとは無関係とは言えないものの、「盟約」「契約」によるものであったことは明らかである。 「西洋封建制は契約によるから、諸侯が複数の大諸侯と契約を結ぶことができた」というのもよくあげられるが、類似のケースも中国・春秋時代にはよく見られた。 鄭という国は、時に北の大国・晋の盟約に従い、時に南の大国・楚の盟約に従い、双方の支持を受けて存続した。それで非難も浴びたが、それは「忠臣は二君に仕えず」などという道義的なことではなく、外交的な問題への苦情という即物的なものである。 実は西洋封建制と中国封建制はどちらも契約に成り立っており、言うほど差がないのである。 ◇日本 基本解説の例えには多々用いたが、じつは日本の場合はいささか不思議な経緯をたどっている。 まず日本の場合、先に郡県制があり、次に封建制に移り、その後再び郡県制になった。 最初は国造や郡司といった、地方豪族をそのまま地方領主とする、中国の殷代以前に近い封建制であった。 しかし遅くとも大化の改新の頃(645年)には国司を置いている。 この国司というのが「中央政府が派遣する地方長官」であり、日本における郡県制の象徴である。 もちろんいきなりこの郡県制が普及したわけではないが、中央政府は他にも律令の発展、国分寺などの普及などを推し進めた。 飛鳥時代、奈良時代、平安時代前期を通じて、日本全土の中央集権化=郡県制が大いに発展した。 しかし平安後期ごろから、天皇を中心とする中央政府が衰退を開始。 天皇が実際の政治的支配者から、宗教的な司祭と変化したことで、中央政府の持っていた日本全土への権力が薄れたのである。 さらに奈良時代中期から出現していた荘園も増加する。 荘園とは早い話が私有化された土地であるが、その私有する人物=荘園領主は中央からの地方官僚に従わないため、郡県制は骨抜きになる。 藤原道長にはたくさんの荘園が贈られた(*26)というのは日本史の授業で習うだろう。 しかも荘園を守護する兵が武士となり、地方領主として成長していったことで、いよいよ天皇・平安京を中心とした日本式の郡県制は衰退していく。 これに代わって台頭したのが武家である。 争いを経て平氏が支配したが、公家的になった平氏は源頼朝を筆頭とする武家に討伐される。 その後、彼らが政権となった、すなわち幕府である。 幕府時代は源氏の鎌倉幕府、足利氏の室町幕府、徳川家の江戸幕府と数百年続く。 しかし幕府は征夷大将軍を中心として全国を統治する郡県制ではなく、活躍した武家に土地を与えて世襲させる封建制を施行した。 中国やヨーロッパは封建制から郡県制に移ったが、日本の場合は郡県制に代わって封建制に移行したのである。 これについては、中国は平地が多く道路や運河で交通網も発展したのに対し、 日本は山がちで平地が少なく、運河も開通できない(*27)という事情が大きかったのだろう。 徳川家康が開いた徳川幕府による江戸時代の幕藩体制は、封建制における究極の完成系ともいえる(*28)。 徳川幕府の直轄領は400万石。さらに幕府直属の旗本も独自に石高を持つため、それを含むと実質700万石となる(*29)。 二位(最大藩)加賀藩の103万石、三位の薩摩藩77万石をはるかぶっちぎる。 警戒筆頭の薩摩藩には、その周辺に薩摩並みの大藩を大量配置(*30)、プラスさまざまな賦役を課して財政破綻にも追い込んだ。 他の藩に対しても「生かさず殺さず、背けば殺す」とまでいわれる強力な統制を敷き、幕末を除いて反乱らしい反乱を起こさせなかった。 最も恐るべきは、こうした完成度の高い封建システムを徳川家康が晩年の十数年で確立させたことである。 また、江戸幕府において生殺与奪権を完全に握られた武家・旗本が高度に官僚化したことと、日本列島各地の天領を効率的に運営したことは、ある意味で郡県制に近い地方行政の中央集権化ももたらした。 しかしその後、黒船来航からの外憂により、封建制ゆえに実質約260の小国の寄せ集めでもある幕藩体制は、 地方政権(各藩)の軍事強化=徳川の弱体化に繋がりかねないジレンマや、統制力の強さゆえの硬直性や財政難に悩まされてしまい、 国=所属する藩から「国民国家・日本」という意識が産まれたことで、再び天皇および中央政府を頂点とした全国規模の中央集権化、 日本流の郡県制が誕生した。 当時の中央集権は内務省の存在など今とは比べ物にならないほど強く、各知事も中央政府による任命制であった。 その後敗戦による地方分権を経て令和の現代に至るわけである。 しかしこの国民国家の意識誕生に水戸徳川家という、いわば幕藩体制を築き上げた側の功労があったことは歴史の皮肉というべきか。 なお、日本では「県」が最大行政区画で、「県」のなかに「郡」がある。 しかし中国では「郡県制」というように「郡」のなかに「県」がある。 「県郡制」と言わないのは、初めに中国で「郡県制」という用語で完成したため。 【その他】 たまに封建制は「家父長制」と同一視されることがある。 特に一族の長(家父長)というような年配男性が、家族や使用人に対して一族内部の絶対君主のように振る舞うとき「封建制の名残」といわれたりする。 しかし家父長は妻子に対して領土を分け与えたりはしないため、封建制とはあまり関係はない。 一族の長が、ある者に「分家」させることもあり、そうした分家に対して「本家」が君臨する体制もみられる。 この「分家」は確かに「分封」「諸侯」に近く、個人レベルの封建制ということもできるが、 そもそも本質として、封建制とは分権的なものであり、「絶対的な封建制」というものは存在しない。 それでも「圧迫されている」場合、それは単にその分家さんが、「本家に逆らうな」という周りの空気に呑まれているだけである。 というか、「封建的な」とかいう場合、「とりあえず古くて悪しき前時代的な産物」という意味で使われている場合が多い。 この場合、実際に封建制に似た分封システムがあるかないかは関係ない。 例えば「あの企業が衰退したのは封建的な経営のせいだ」とかいう場合、「のれん分けのし過ぎ」などは意味せず、「社長の強引で無謀な経営」「古い体制にこだわったやり方」を意味することが多い。 追記・修正を行うにあたっては、りどみの規約に違反しないことが求められます。 △メニュー 項目変更 この項目が面白かったなら……\ポチッと/ -アニヲタWiki- ▷ コメント欄 [部分編集] 周公旦の項目で依頼を受け、該当部分をベースに膨張させました。あくまで叩き台として、随時、加筆・修正をお願いします。 -- 作成者 (2020-02-18 23 07 37) 題名みただけで作者がピンと来てしまったwww -- 名無しさん (2020-02-18 23 46 12) ↑2ありがとうございます -- 名無しさん (2020-02-19 05 42 17) 現在では各都道府県や市町村の首長はそれぞれの自治体の特別職の地方公務員だし、職員はそれぞれの自治体の首長の職務を助ける機関で一般職の地方公務員と位置付けられているから、上の説明では大いに誤解を生じると思う。確かに都道府県には中央省庁の国家公務員が出向してくるポストとかがあるけどさ。 -- 名無しさん (2020-02-19 09 31 03) ↑この項目は「封建制」を解説するページであって、現代日本の地方自治システムを解説するページじゃあない。そこの正確性は犠牲にした方が「封建制」を理解するのには有効だと思うぞ。「分かりやすさ」を維持した上でもっと正確に書けるのならもちろんその方がいいけど。 -- 名無しさん (2020-02-19 09 55 07) このシリーズの筆者さん、何者ですか?本とか書いてるなら買いたいレベル。 -- 名無しさん (2020-02-19 10 04 36) 男塾に「わが塾は絶対封建制を採用しており教官への反逆は重罪!」みたいなセリフがあったけどこれ封建制がなんだか良く分からずに言ってるパターンだなこりゃ -- 名無しさん (2020-02-19 10 08 44) 編集します。公務員関係の明らかな間違いは修正します -- 名無しさん (2020-02-19 10 23 02) 時代遅れみたいな意味で使われてばかりだから、『「建」設的な行動を「封」じる』って勘違いしてる人が多そう・・・私も世界史知るまでそうでした。 -- 名無しさん (2020-02-19 11 08 51) 途中まで編集終了 -- 名無しさん (2020-02-19 12 10 16) なんか国連を封建制度の説明に組み込むことには多大な違和感を覚えるんだが…。 -- 名無しさん (2020-02-19 12 25 10) 封建制を抑圧主義だと勘違いしてた…、逆だったのね…。 -- 名無しさん (2020-02-19 12 39 00) 意味合い的には任領制とかの方がしっくりくるな -- 名無しさん (2020-02-19 13 00 18) 編集再開します -- 名無しさん (2020-02-19 13 25 45) ↑4 類似品で書いてるからいいと思うがね -- 名無しさん (2020-02-19 13 29 41) 編集終わりました。国連絡みは変だと思ったので消しました。あと編集中にコメント投稿含む編集はしないでください。編集競合が起こります。 -- 名無しさん (2020-02-19 13 59 32) 参考文献が何か気になる。個人的に勉強したいので、教えて欲しいです -- 歴史好きの一人 (2020-02-19 14 40 54) アメリカ合衆国のような各州独自の法律を持つ州制度も封建制みたいだと思ったけどどこが違うのか気になるところ -- 名無しさん (2020-02-19 16 43 56) ↑順序の違いでは。形式上州が連合してアメリカになってるんであって、アメリカが自国を分割して州を作ってるわけではない。 -- 名無しさん (2020-02-19 20 25 27) ということはもしや、もし太陽系外からの強烈な電磁場などで、日本全国の通信網が破壊された場合、郡県制を維持できずに、一時的に封建制にするか、最悪の場合群雄割拠の世になってしまう可能性も!?(ヒヤクシスギ -- 名無しさん (2020-02-20 11 05 38) ローマ帝国(郡県制)崩壊から封建制への以降という点では日本とヨーロッパは変わらないと思うが。 -- 名無しさん (2020-02-20 14 32 54) 変だと思うところはどんどん追記編集してくれ -- 名無しさん (2020-02-21 10 16 24) ヨーロッパの項目読んでると書類を破りたくなってくるな…w -- 名無しさん (2020-02-23 03 02 46) アフリカとか東欧とか西アジアってある種封建の結果では?民族とか地勢とか無視してものさしで引いてわけたのが独立したんだろ? -- 名無しさん (2020-02-23 03 19 38) *15 特に隣接敵国の国境沿いで戦争時に最前線となる領主の場合、自身と領民の安全を考えて敵国側とも誼を通じておくという事は結構あったそうである。 日本だと対馬がやってたな。朝鮮王室に送った偽造公文書が九州国立博物館に展示されてるw -- 名無しさん (2020-02-23 04 32 41) 家父長制と同一視されるのは、国の法からの干渉を排除した地方政権のごとく振舞うイメージのせいかな、とちょっと思いついた -- 名無しさん (2020-02-23 10 25 38) ↑ 単に世襲制の都合で家長である父と後継者候補の男児に権力が集中するからでしょ -- 名無しさん (2020-02-23 10 43 48) あれ、ということは日本の場合は、封建(大化以前)→郡県(大化)→封建(平安~江戸)→郡県(明治以降)じゃない? -- 名無しさん (2020-02-23 16 01 15) 地方政権が主権を持つって事は「封じられた地方政権が民主共和制」もあり得るのでしょうか(意味はなさそう -- 名無しさん (2020-02-24 00 24 33) スター・ウォーズで言えば銀河共和国が封建制にあたり、銀河帝国が郡県制になるわけか。 -- 名無しさん (2020-03-11 08 51 56) ↑銀河共和国は連邦制だろ。アメリカみたいなもの -- 名無しさん (2020-03-11 09 15 11) ということは、江戸時代では、大名がみんな戦国時代からの延長戦上の思考回路だったから似たような政治システムになっただけで、やろうと思えば自分の藩を民主主義とか、そんな従来とは違う政治システムにすることもできたわけか。(その後、それを危険視した幕府に攻められる可能性があることは置いといて -- 名無しさん (2020-03-19 12 58 51) 理屈としては全く問題ないだろうね。単にそういう発想がなかっただけで。 -- 名無しさん (2020-03-19 13 30 32) そもそもそんな藩政改革したら幕府が危険視するのではなく藩内のどっかしらの身分が損するからそいつらが幕府に訴えてしくじる、民主主義になんてしたら武士層が一番損するから重臣全員ブチ切れて押し込まれて終わる可能性が非常に高い -- 名無しさん (2020-03-19 19 28 19) ↑まぁ、そういうことも含めて、潰される可能性があることはおいといておけば、ってことで -- 名無しさん (2020-03-19 19 33 10) ロードス島戦記のライデン市みたいに、藩主の権限を大幅に縮めて「主要都市・豪商の合議制」とかはあり得たかもしれませんね -- 名無しさん (2020-03-19 19 41 01) ↑武士層が(ry -- 名無しさん (2020-03-19 19 52 42) ぶっちゃけ明確な上下関係に近いものが存在するだけで、かなりの権利を認めてるからどちらかと言うと封建制に近いと思うぞ。任命も世襲も無いからどちらでもないんだけど -- 名無しさん (2020-03-19 20 10 57) ↑×3 堺とか博多のように、商人が合議制で治めていた都市もあるにはある。 -- 名無しさん (2020-11-17 22 20 04) まあ武家の支配を脅かすようなことをしたら君主が発狂したためとか理由つけて強制引退、藩は縮小か取り潰しとなるだろうな -- 名無しさん (2020-11-17 22 39 55) 大化以前の日本やローマ帝国は古代奴隷制であって封建制では無いよ -- 名無しさん (2021-07-11 22 29 56) 元は郡県制だけど封建制に変わった地域は日本以外だとイスラム圏やインドかな -- 名無しさん (2021-07-24 22 16 47) 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/studykorea/pages/85.html
トップページ>歴史>女性と歴史 『女性と歴史』20、2014.6 特集論文 정해은「朝鮮後期貧困層女性の自売の実態」 천성림「近代中国の貧困女性:「猪花」を中心に」 기계형「帝政ロシア末期サンクトペテルブルクの貧民層女性と性売買」 一般論文 장경희「朝鮮後期女性匠人の匠色と職役研究:儀軌の分析を中心に」 윤선자「韓末パク・エスダのアメリカ留学と医療活動」 안태윤「北韓女性が経験した韓国戦争:戦争動員活動と体制下の生存戦略」 정현백「国家と女性平和運動:金大中・盧武鉉政府の平和政治を中心に」 설혜심「女性と消費の歴史」 書評 한희숙「韓国女性史理解の底辺拡大のために:朱鎮五・김선주 外『한국여성사 깊이 읽기』푸른역사、2013年」 소현숙「トランスナショナルの観点から見た東アジア女性の歴史:山崎朋子、김경원 訳『경계에 선 여인들』다사헌、2013年」 정용숙「20世紀家族の地球史:Göran Therborn『Between Sex and Power Family in the World 1900-2000』 London Routledge, 2004」 『女性と歴史』19、2013.12 特集論文:韓国女性史研究の現況と展望 김선주「女性と女性性研究の模索:三国時代から高麗時代までを背景にして」 정해은「朝鮮時代女性史研究動向と展望、2007-2013」 홍양희「韓国近代女性史研究の現況と展望、2007-2013」 김은경「「憂鬱な熱情」を超え論争の白熱化へ:韓国現代女性史研究の争点と展望」 一般論文 박효근「フランス宗教改革とユグノー女性の「逆説」」 西沢直子「日本近代轉換期女性たちのネットワーク形成と階層化:福沢家を事例に」(日) 권순형「『牧隠詩藁』を通じてみた高麗末貞慎宅主の家庭生活」 박경「『自己録(자긔록)』を通じてみた朝鮮後期烈婦観と女性の対応」 김경애「羅蕙錫の女性解放論の実現と葛藤」 김영선「南北韓女性交流の多層的軌跡と学術課題」 書評 기계형「西欧女性史の偉大な開拓者、ガーダ・ラーナー(Gerda Lerner)を追慕して:Gerda Lerner『Living with History/Making Social Change』 North Carolina University of North Carolina Press, 2009」 박정애「日本軍「慰安婦」制度を語るもうひとつの歴史パズル:安秉直 翻訳・解題『일본군 위안소 관리인의 일기』、2013年」 学会消息 기계형、이현주「第二回「韓中日女性史国際シンポジウム」参観記」 宋連玉「日中韓女性史国際シンポ開催にあたって」(日) 『女性と歴史』18、2013.6 特集論文:境界を超えて:我が国女性運動の連帯と交流 김경애「我が国女性運動に対する海外支援:1970年代後半から2000年までを中心に」 이혜숙「地球化・地方化時代地域女性運動と女性連帯の展望:慶南女性団体連合の連帯活動を中心に」 안진「光州全南地域女性運動の連帯のための模索」 一般論文 이진옥「結婚、女性の義務なのか?:18世紀イギリス知識人女性の選択」 최용찬「戦争、女性、映画:「西部戦線異状なし」(1930)に現れた女性の苦痛と反戦の美学」 書評 장미현「輝く空間「光州」、輝く女性達:彼女達がくれた5・18の物語:光州全南女性団体連合 企画、이정우 編集『光州、女性』후마니타스、2012年」 『女性と歴史』17、2012.12 特集論文:民主主義と女性 홍찬숙「韓国社会の圧縮的個人化とジェンダー範疇の民主主義的合意:1990年代を中心に」 김혜경「イタリア女性連合(UDI)の活動と民主主義の発展」 一般論文 정현백「女性史研究の現況と課題:「位置付け」と「開拓」の間で」 배혜정「アンナ・マリア・ファン・シュルマン(1607-1678)と17世紀イギリスの女性教育談論に残した彼女の遺産」 나혜심「福祉国家と移住労働力、その肯定的な関係について:1950-70年代ドイツと女性移住労働者を中心に」 김경애「作家金明淳の生涯とキリスト教信仰」 書評 기계형「新しい時代を抱えた女性の話:실라 로보섬 著、최재인 訳『아름다운 외출』三千里、2012」 『女性と歴史』16、2012.6 論文 이은정「16-17世紀オスマン皇室女性の社会的位相と公的役割:オスマン皇太后の役割を中心に」 강영경「檀君神話に現れた熊女の役割」 박경「開化知識人達の早婚に対する認識:『独立新聞』の論説を中心に」 尹善子「蟾津江流域の日本軍性奴隷記念物「平和の塔」建立背景と主体:忘却から記憶へ」 書評 문숙자「社会学者が見た16世紀朝鮮の家族:박미해『유교 가부장제와 가족, 가산』아카넷、2010年」 『女性と歴史』15、2011.12 特集論文:歴史の中の女性リーダーシップ 정현백「グローバル視角から見た女性指導力:歴史的接近を中心に」 朴珠「朝鮮後期貞純王后金氏の政治的リーダーシップに対する再照明」 덩시아오난「乾興から明道まで:北宋劉太后のリーダーシップ」(中) 菅野則子「江戸幕府末期:女性の訴訟行動」(日) 이송희「韓国近代史の中の女性リーダーシップ」 陣雁「変化する中国女性のリーダーシップ:「ファーストレディー」宋美齡を中心に」」(中) 宋連玉「山川菊栄と黄信徳:帝国日本と植民地朝鮮の女性リーダーの出会いと交錯」(日) 一般論文 김성은「日帝時期朴仁徳の世界認識:『世界一周記』(1941)を中心に」 노서경「アルジェリア・フェミニズムの知的性格:1990年代の試練を中心に」 日本、中国女性史学会動向 菅野則子「日本女性史学会動向」 陣雁「上海地域女性史研究紹介」 『女性と歴史』14、2011.6 論文 이진옥「「ミレニアム・ホール」」 김경애「性暴力被害者/生存者としての近代最初の女性作家金明淳」 김성은「1920年代同盟休学の実態と性格:宣教会女学校を中心に」 신영숙「アジア太平洋戦争期朝鮮人従軍看護婦の動員実態とアイデンティティ」 박정신「我々の歴史に現れた女性とキリスト教の繋ぎ目:そのかみ合わせとズレの社会史」 書評 이선이「윤혜영『루쉰의 사랑 중국의 사랑 쉬광핑』서해문집、2008年」 『女性と歴史』13、2010.12 論文 이옥순「東南アジアのシータ、インドのシータ:女性主義観点の比較研究」 이성숙「老年とジェンダー:老年女性に対する談論とビクトリア期フェミニストの老年」 현재열「ある女性の生涯を通じて見た女性と革命:ロシア人「女性モミュナール(Communarde)」エリザベート・ドミトリエフ(Elisabeth Dmitrieff)」 広瀬玲子「大韓帝国期日本愛国婦人会の誕生」 김영선「結婚・家族談論を通じて見た韓国植民地近代性の構成要素と特徴」 윤정란「ジェンダー観点から見た歴史文化地図データベース構築過程」 천성림「実践性から多元化へ:韓国の中国女性史研究の背景と流れ」 書評 菅原百合「宋連玉『脱帝国のフェミニズムを求めて:朝鮮女性と植民地主義』東京:有志舎、2009年」 『女性と歴史』12、2010.6 特集論文:女性と革命 이성숙「女性と西洋近代革命:革命に対する追憶と未来革命」 기계형「1917年ロシア革命と女性:日常生活の連続性と変化」 윤정란「4月革命と女性達の参与様相」 一般論文 김경애「近代男性知識人小春金起田の女性解放論」 菅原百合「日本人女性安田靖子の対朝鮮認識」 서지영「負傷する主体達:近代媒体とジェンダー政治」 신영숙「日本の「アジア平和国民基金(国民基金)」に対する勧告社会の対応」 書評 박진숙「오영옥『영원한 국모 마리아 테레지아』나남、2009年」 『女性と歴史』11、2009.12 特集論文:トランス・ナショナリズム観点から見た女性史 김미선「植民地時期朝鮮女性の帝国内移住経験に関する研究:양충자(中国天津)と이종수(満州国安東)の口述を中心に」 나혜심「韓人女性看護労働者のドイツ移住と韓人家族内女性の役割」 신지영「旅行と空間の性の政治学を通じて見た羅蕙錫の風景画」 一般論文 趙景徹「百済王妃八須夫人の出自とその生涯」 문숙자「朝鮮後期奴婢家系と婢:筆巌書院「奴婢譜」の分析を通じて」 윤정란「旧韓末キリスト教女性の暮らしと女性教育運動:余袂礼を中心に」 김은경「1950年代新生活運動研究:家庭改良論と消費統制を中心に」 書評 朴珠「강명관『열녀의 탄생:가부장제와 조선 여성의 잔혹한 역사』돌베개、2009年」 『女性と歴史』10、2009.6 鄭海恩「朝鮮時代胎教談論から見た李師朱堂の胎教論」 박경「殺獄判決を通じて見た朝鮮後期支配層の夫妻関係像:『秋官志』分析を中心に」 윤정란「江原地域キリスト教女性教育事業と3・1運動」 윤지현「1920-30年代サービス的女性の労働実態と社会的位相」 김미선「近代的「職業女性」の女性アイデンティティと職業意識の形成過程に関する研究:1世代美容師임형선の口述生涯史を中心に」 김수자「韓国戦争とベトナム女性の戦争経験と認識:地域差別認識と結婚観を中心に」 이성숙「グローバル女性史観点から見た19世紀末20世紀初インド・ゼナナ(Zenana)女性とイギリス独身女性医療専門職進出」 신남주「女性文化遺産の概念と研究動向」 書評 이선이「김택중 訳『明史列女伝』제이엔씨、2008年」 『女性と歴史』9、2008.12 研究論文 韓嬉淑「朝鮮後期両班女性の生活と女性リーダーシップ:17世紀行状っを中心に」 남미혜「18世紀蚕桑で治産した全州李氏」 정지영「近代一夫一婦制の法制化と「妾」の問題:1920-1930年代『東亜日報』事件記事分析を中心に」 장성진「女性口述史を通じて見た韓国改新教文化形成過程研究:改新教女性전봉선を中心に」 기계형「女性農民達、法廷へ行く:ロシアの家父長的文化と妻殴打に対する態度の変化」 유정희「世界化時代ヨーロッパの移住女性」 書評 김성은「장성진『한국교회의 잊혀진 이야기:초기 한국 개신교 선교와 교회 성장에서의 전부부인에 관한 연구、892~1945』韓国学術情報、2008年」 『女性と歴史』8、2008.6 研究論文 朴珠「朝鮮後期純祖代の王室女性と天主教」(英) 김성은「『渓西野談』を通じて見た19世紀朝鮮知識人の女性認識」 윤정란「国家・女性・宗教:1960-1970年代家族計画事業とキリスト教女性」 최혜영「古代ギリシャ社会の宗教:女神と女性:デーメーテール(Demeter)のテスモポリア(Thesmophoria)を中心に」 기계형「日常生活とジェンダー政治:ソビエト時代初期の女性部(Женотдел)、1919-1923」 이성숙「女性史講義とフェミニスト教授法:「ポストフェミニズム」時代女性史講義戦略」 書評 신영숙「共著、共訳『확장하는 모더니티:1920~30년대 근대 일본의 문화사』소명출판사、2007年」 『女性と歴史』7、2007.12 研究論文 김영선「霊南良洞邑の両班家屋、香壇と女性の時/空間の統制」 안태윤「娘達の韓国戦争:結婚とセクシュアリティを中心に見た未婚女性達の韓国戦争経験」 윤정란「韓国戦争と商売に出た女性達の暮らし:ソウルに定着した他地域出身達を中心に」 이성숙「韓国戦争に対するジェンダー別記憶と忘却」 이선이「戦後韓国と中国の人口政策と女性」 書評 기계형「정현백『여성사 다시 쓰기:여성사의 새로운 재구성을 위하여』당대、2007年」 『女性と歴史』6、2007.6 研究論文 강영경「韓国女性史研究の現況と課題:高麗時代までを中心に」 張炳仁「朝鮮時代女性史研究の現況と課題」 이송희「韓国近代女性史研究の成果と課題」 이선이「韓国の中国女性史研究の現況と課題」 이성숙「今日、女性史とは何か」 書評 하지연「권순형『고려의 혼인제와 여성의 삶』혜안、2006年」 『女性と歴史』5、2006.12 研究論文 이성숙「西欧女性口述史現況と争点」 김수자「清渓川辺女性達の話:口述を通じて見た清渓川と女性の暮らし」 정현주「清渓川辺被服工場女性労働者の暮らし」 広瀬玲子「日本の「新しい女」と西洋女性解放思想:エレン・ケイ思想の受容をめぐって」(日) 広瀬玲子「日本の「新しい女」と西洋女性解放思想」 書評 강영경「조범환『우리 역사의 여왕들』책세상、2000年」 『女性と歴史』4、2006.6 研究論文 정현백「韓国の女性運動60年:分断と近代性の間で」 강이수「解放後韓国経済の変化と女性の労働経験:差別と周辺化の持続」 함인희「光復60年、家族制度と女性の暮らしの変化:受動的適応と能動的抵抗の躍動性」 김엘림「光復60年、女性立法運動の展開と成果」 朴珠「朝鮮時代慶南地域の烈女事例分析:『慶尚道邑誌』を中心に」 書評 이성숙「ヨーロッパジェンダー論争:女性は人間か?:Gisela Bock『Women in European History, Allison Brown, trans. The making of Europe Series』Oxford Blackwell、2002年」 『女性と歴史』3、2005.12 신남주「1920年代知識人女性の登場と海外留学」 이송희「釜山地域新知識層女性達の登場と団体活動:1920年代女子青年会活動を中心に」 이성숙「光復60年、女性セクシュアリティと性談論の変化」 강영경「光復60年、韓国女性宗教生活とその意識の変化」 김석향「『朝鮮女性』に現れる男女平等と性差別及び女性の権利意識研究」 書評 김성은「윤정란『한국 기독교 여성운동의 역사』国学資料院、2003年」 『女性と歴史』2、2005.6 강영경「新羅上代時期の女司祭:女巫と比丘尼の役割を中心に」 남미혜「朝鮮時代特殊職女性、蚕母」 西沢直子、김진숙 訳「福沢諭吉の近代化構想と女性論:「女大学」批判の構図を中心に」 안형주「初期アメリカ韓人女性とその娘達」 유정희「大衆媒体とドイツ女性:ワイマールとナチドイツを中心に」 정지영「朝鮮時代婦女の露出と外出:規制と隙間」 書評 정혜중「千聖林『산업화가 유교체제하 중국여성의 지위에 미친 영향』집문당、2005年」 『女性と歴史』1、2004.12 정현백「自叙伝を通じて見た女性労働者の暮らしと心性世界:20世紀転換期ドイツと1970~80年代韓国の比較を中心に」 박경「朝鮮初期王室家族秩序整備の特徴」 안태윤「戦時体制と家庭性:家庭生活と主婦役割に関する議論を中心に(1937-45)」 신영숙「延辺朝鮮族女性機関及び団体研究:女性の社会的役割とアイデンティティを中心に」 이선이「近代中国の民族主義と女性主義:丁玲の延安時期作品を中心に」 이성숙「イギリスのフェミニズムと帝国主義:南アフリカ戦争談論を中心に」 염운옥「イギリスの優生学運動とセクシュアリティ:性病の管理から結婚前健康診断計画まで」 書評 최혜영「S. Brundell『Women in Ancient Greece』Harvard Univ.Press, Cambridge、1995年」 1-20 21-40
https://w.atwiki.jp/aniwotawiki/pages/27524.html
登録日:2014/02/15(土) 05 12 45 更新日:2024/03/18 Mon 17 35 39 所要時間:約 18 分で読めます ▽タグ一覧 G1の黒歴史 G級 G級改新 MH MHF MHF-Z MHF‐G かつてはG(ゴミ)級 どうしてこうなった ひそかに人事異動 インフレ クッキー・蟹・ポカラ丼オンライン ドンナーハンダーK(金をドブに捨てる気か) フロンティアG マイナスからの再スタート メインコンテンツ モンスターハンター モンハン 反省の宴 極限征伐戦 波乱万丈 賽の河原オンライン 超大型アップデート 運営の借金 ここで挙げるG級とは、モンハンシリーズの外伝にあたるオンラインゲーム『モンスターハンターフロンティアZZ』におけるメインコンテンツの一つである。 現在でこそ名実ともに本作のメインコンテンツとしての立ち位置を確立しているG級だが、 ここに至るまでには致命的なスタート失敗に始まり、数え切れないほどの改新、変革、変化が複雑に入り混じっているため、それらの事情も追々後述していく。 内容はMHF-Z時点でのG級を中心に説明する。 概要 昇級試験 特徴GR/GSR Gz(ジーゼニー) G級クエスト 極限征伐戦 スキル モンスター 武具武器 防具 ハンターナビ G級専用武器種穿龍棍 スラッシュアックスF 概要(黒歴史編) MHF史上最悪のアップデート、MHF-G(ゴミ)1当時のG級武具 当時のGR 覇種真っ青の強さを誇る(新規)モンスター その後の顛末 G級改新と波乱の道のり G1の大失敗後の運営体制 その後や余談 概要 2013年4月、MHF(フォワード5)からMHF-Gへの超大型アップデートと同時に実装されたランク。 PシリーズのG級と同じく、現時点では最高難易度のコンテンツという位置づけである。 それと同時に、向こう側にはない独自のシステムや要素が非常に多い。 G級自体は実装の約1年前の段階から計画されていた。 フォワード4当時は秘伝防具や運営等の諸問題によりギスギスした空気が漂い始めており、更に公式イベント開催に際し重大発表(G級のこと)が告知された際には「もしかしてサービス終了するんじゃね?」とまで噂された程である。 それに対し、いざG級の存在を発表するとプロデューサーの杉浦、もといギウラスは皆の不安を払拭する意図を込めて 「反省しろ~~~!」 と茶化した一幕もあった。 昇級試験 G級に昇るためには、HR7でギルド指定クエスト(本家でいうキークエスト)を全てクリアする必要がある。 すると、天翔龍シャンティエンの撃退を目的とした緊急クエストが発生。 これをクリアすることで晴れてG級ハンターに昇級する。 なお、シャンティエンは後述の極限征伐戦でも戦うことが可能。 特徴 最近は本家と比較的近いシステムにリファインされつつあるMHFだが、 このG級では今までと違う独自の仕様が多く盛り込まれており、半ば別物に近い。 故に、かつての凄腕ランク実装当時のようにプレイヤーの情報収集がとても大事となる。 とはいえ全てを事細かに説明することは難しく、アップデート毎に仕様変更・新要素の追加が行われるため、全てを網羅するのは現実的でない。 ゆえに本項目では大体ざっくりとした説明に留めておくので、詳細は各自で調べていただきたい。 GR/GSR 従来のHR(ハンターランク)/SR(スキルランク(*1))に相当する新ランク。 上昇テーブルなどの仕様は概ね同様で、後述するがクエストの受注条件等には一切関係ない。 (G8以降は一部例外あり) 一定ランクに達する毎に恩恵が増えていき、G級ライフが少しずつ楽になる。 なお、GSRはかつての秘伝書システムにあったようなマイナス制限は一切無い。 後述のG級ハードコアクエストでは「G級秘伝書」の装備が必須となる。 また、G級帯の生産武具のレア度もGRでランク付けされている。 防具の場合は強化時の防御力ボーナスに深く関わってくるため、地味に重要。 Gz(ジーゼニー) G級専用の通貨。 上限は従来のゼニーと全く同じで、G級武具生産・強化、及びクエスト受注の契約金などに必要。 今までと違って参加人数で報酬金が割られないようになっており、 「圧力」スキルを発動することでクエストクリア時のGzを増加させられる。 (厳密な仕組みでは違うのだが、とりあえずそういう感覚で問題ない) しかし、今ではG級版「逆襲クエスト」で難易度毎に金策が可能となっているため、Gzが欲しい時は圧力スキルをつけて延々クエストを回すよりそちらでお世話になるだろう。 G級クエスト 受注には専用のG級受付嬢に話しかける必要がある(ちなみに竜人族の女性)。 凄腕まではHRによって狩れるモンスターが制限されていた。 しかし、G級ではGRに関係なく難易度★1~★7までのモンスターは制限なくクエストを受注する事が可能。 ナンバリング側で例えるなら、上位に昇級したてのハンターが いきなりラージャンや古龍といった大物達と戦えるようなもの。 だが、いきなり強豪共をホイホイ狩れるほどG級は、ましてやMHFのそれは甘くない。 フォワード時代に問題化した「防御力の必要意義低下」を解消し、防御力を確実に機能させるため、 G級クエストでは★の数によって防御減算、つまり実際の防御力に下方修正が発生するようになる。 (ついでに属性耐性も一括で2分の1にされてしまう) 難易度の横には目安として「適正」「注意」「危険」「達成困難」が減算後の防御力で判定される。 「適正」ならそうそう即死しないが、「達成困難」だと一発オワタ式のような極限状態になる。 具体的な計算式は防御力-((クエストの難易度数値-1)×150)。 例えば凄腕までの防具は一括してGR1、難易度★1に相当する。 仮にこれを防御力750とした場合、★1では減算されないが、★2は-150で600に減少。 ★6に至ってはこの時点で-750、つまり裸同然の0にまで下降してしまう。 それを防ぐためには、まずは低ランクのG級帯で作成可能な防具を作り、強化しながら徐々に対応していく事になる。 (そのためG級帯の防具は、凄腕までのものとは比べ物にならないほど防御力が凄まじく高い) 一方、個人で事前に★の数を下げる=被ダメージを減らす設定も可能。 引き換えに減った★の数に応じて報酬もしょっぱくなり、剥ぎ取りが失敗しやすくなる。 つまり、最低まで下げれば即死の危険性も報酬枠もグッと減ってしまう上に剥ぎ取りも失敗しまくる。 これは他の要素によるサブ的な報酬にまで影響してしまう。 逆に、モンスターの下見や行動パターンの観察には有効といえるか。 G級の特殊なクエストには多くの種類があり、大別して G級ハードコアクエスト(従来のHCクエと同じ) 極征クエスト 烈種・始種クエスト 特別クエスト G遷悠クエスト 辿異クエスト の6つが存在する。 これらは前述の難易度設定が行えないので注意(烈種はG5になるまで難易度固定ではなかった)。 ちなみに各フィールドの汎用BGM・および発覚音は専用のものになる。 遷悠クエストのみ、そのモンスターの出典で使われたBGM(専用曲がある場合)・SEになる。 極限征伐戦 G級のメインコンテンツで、MHF4大定期開催イベントの一つに属する常駐イベント。 このクエスト限定の古龍モンスターと戦う事ができ、レベルが異なる4種類のクエストごとにステータスと行動パターンが違う。 前述の極征クエストはこれに該当。 一番低いレベルのクエストはそれなりの装備が整っていれば倒せるが、一番上のクエストはしっかり準備をしないと撃破が難しい。 なお昔はMH4のギルドクエストと似たようなシステムで、クリアごとにLv上昇で技を解禁していく特徴があった。 そしてLvに応じた防御減算も徐々にかかっていくため、必然的に強力なモンスターに化けた。 モンスターによって違いはあるが、概ねLv500・1000台で全要素を解放していた。 報酬にはそのモンスターの素材だけでなく、G級の武具強化に必要な素材も入手できる。 G級防具は今や直接装飾品を精錬できるようになったが、防具として最終強化が欲しい場合は相変わらず必要。 参戦モンスターはいずれもG級の大物古龍種だけあって、高レベルになるほど凶悪な強さとなる。 天翔龍シャンティエン 煉凍龍ディスフィロア 黒龍・紅龍ミラボレアス(G級個体) かつては3週間開催、1週間お休みのローテーションだった。常駐後は4体とも常に配信されている。 また、G5以降はチャレンジコンテンツ「至天征伐戦」も同時平行で開催している。 こちらは連戦前提でない分、登場モンスターは極めて強力。 狩人応援コースや元気のみなもと効果も無効化されるガチ討伐系のクエストである。 強豪イベントの双頭襲撃戦と違って完全な実力試しの趣であり、新規の武具素材は一切無い。 更に時間制限がきつい上級版も存在するが、モンスターの行動内容に違いはない。 至天対応モンスター ディスフィロア UNKNOWN スキル G級独自のスキルが多く存在する。 また、一部のスキル(根性、ド根性、いたわり)はそれぞれ最上位スキルでなければ発動不可。 詳しくはこちらの項目を参照。 モンスター 従来のシステム据え置きで、新たに「烈種」「始種」「辿異種」を実装。 G級での面子は既存モンスターと、G級初登場のモンスターが入り乱れる。 なお、既存モンスは特異個体にしない限り基本は元の仕様そのまんまなので注意。 肉質は変種ほどの大々的な変更は無いが、概ね属性が効き易く調整されているため 属性武器の選択も重要になってくる。 極征クエスト以外に登場する固有のモンスターは以下の通り。 ポカラドン ファルノック ヒュジキキ ミドガロン ギアオルグ アノルパティス大先生 レビディオラ ミ・ル(※れっきとしたモンスター名) ゼナセリス エルゼリオン 下記は剛種ランクも存在するモンスター達。 ゴウガルフ バルラガル フォロクルル イナガミ ポボルバルム ハルドメルグ ガスラバズラ トリドクレス グァンゾルム 烈種ゼルレウス 烈種メラギナス 烈種ディオレックス 烈種ガルバダオラ 烈種ヴァルサブロス 始種グレアドモス 始種ヤマクライ 始種トア・テスカトラ 始種ヴォージャン メインシリーズからゲスト参戦のモンスター達はメゼポルタに現れた「遷悠種」としてカテゴライズされており、 G級ではGR500~が受注・参加条件となる。 詳しくは項目参照。 モンスター自身の共通仕様にも変更があり、MH3以降と同じく罠・閃光を繰り返し使うと耐性がつく。 更に怯み耐性は、各部位は怯ませた回数の分だけ倍算されていくため、特定の部位だけを狙って怯ませ続けることが困難と化した。 また、既存のモンスターは、一部攻撃に変化が加わっていたり(G2まで)、全く新たなモーションを獲得したりしていることがある(G3以降)。 或いはその両方というパターンも。 得られる素材もG級独自のもの。 武具 G級で生産できる武具には従来と同じく種類があり、それぞれ特徴が違う。 これらをよく知り、使い分けることがG級ライフを楽にしてくれる 武器 凄腕までとは比較にならない攻撃力の武器が非常に増え、ハンター側のインフレを加速させた。 ただし、モンスターによって性能の方向性に違いがあるので「どれかが一強」にはならない。 G級武器/G級技巧武器 詳しくは項目を参照。 G級覇種武器/烈種武器/始種武器 覇種武器からグレードアップ。最近はG級覇種から一発生産も可能。 斬れ味一段階アップ等の恩恵がある都合、(G級)覇種防具とセットでの運用が推奨される。 ただしG級覇種段階での性能は覇種武器からちょっと上がった程度のものが多く、そのままではある程度強化したG級武器に叶わない。 基本はすぐに「烈種」と呼ばれるモンスターの素材を中心に強化することになる。 烈種武器の素の性能はG級武器に負けるが、烈種防具とセットで運用する事により かなり強化したG級武器に匹敵する性能を引き出せる。 また、武器自体が1種類のスキルを内包しているのも大きな特徴。 ここから「始種」素材を使うことで最上位の始種武器に強化され、素の性能がG級武器Lv50前後に匹敵。 内包スキルがグレードアップする(例外あり)。 ただし今は辿異武具があるため、辿異種との戦闘がメインになってくると最終的には公式狩猟大会用の武器になりがち(*2)。 G級進化武器 ラヴィエンテの素材を使ったかつての最強武器が堂々と凱旋。 強化には想像を絶するとてつもない労力と時間を要するが、その分最終的な性能は文字通り「最強」の2文字に恥じない。 辿異武器 辿異種モンスターの素材から作れる武器。 それぞれ最終的に高い性能を持ち、「スキル枠拡張」「○○強化」といった独自の自動発動スキルを備えるのが特徴。 生産だけなら基本的に各モンスターの発達部位素材を使わない。 防具 多くが強化すると、というかデフォルトでも防御力1000以上に達する。まさにインフレの極地。 また、G級防具とG級秘伝防具は装飾品として作り変えることが可能(それ以外は不可能)。 精錬についてはG級防具の項目に譲る。 G級防具 G級におけるスタンダードな防具。スキル枠拡張、装飾品への精錬などの機能を持つ。 詳しくは項目参照。 G級覇種防具/烈種防具/始種防具 覇種防具からグレードアップ。 後述のG級秘伝ほどではないが素の防御力が低いので、極力すぐに烈種防具へ強化するのが基本。 烈種以降の特徴は1部位さえあればスキルアップグレードが常時発動すること。 始種防具にまで強化すれば強力なG級スキルが付与され、始種武器とセット運用時の補正も上昇する。 「パーツ単位で運用」というコンセプトは、剛種防具時代から一貫して変わらないのでうまく利用すべし。 G級狩護防具 狩護防具より更に上の、現状では課金防具専用となる派生段階。 課金専用だけあって非常に強力な効果を多く持ち、その中にはG級防具としての特性も持つなど高性能の一言に尽きる。 ただし、最終的な性能では最大強化したG級防具の方が上というケースも多々あるので過信は禁物。 防御力ではどうあがいてもG級防具には勝てないため、賢い運用を。 辿異防具 辿異種モンスターの素材から作れる防具。 辿異武器同様に通常とは違う自動発動スキルを部位ごとに備えており、しかもレア度が通常のものを適用しているので実際の防御力は見かけ以上の高さを発揮する。 G級秘伝防具 フォワード時代に色々な波乱を巻き起こした秘伝防具がグレードアップ。 詳しくは項目を参照してほしいが、現在のG級環境において秘伝防具自体の立ち位置は低く、 かつてのように「秘伝さえあれば他はいらない」訳ではないことを十分に留意する必要がある。 ハンターナビ MHF-GGから実装されたナビゲートシステム。 HR/G級ハンターが次にこなすべき指標や課題を示してくれる。 クリアすると有用な報酬を貰うことが可能。 初心者のみならず、諸事情でMHFを離れていたハンターが復帰する際の助けになってくれるはず。 G級においては最低限の防具一式と装飾品を作ることができ、更にレアな素材をナビの方でお膳立てしてくれる。 特に装飾品はMHFの必須スキルとも言うべき剛撃のスキルポイントが付与されるため、やる意義は大きい。 G級専用武器種 穿龍棍 MHF-GGから登場したG級専用の武器種。 見た目はズバリトンファーそのもので、圧倒的な手数と機動力、そして空中戦による打点の高さを生かした武器。 ストーリークエストを第8章までクリアすることで生産解禁となる。 詳細は項目参照。 スラッシュアックスF MHF-G10から登場した、同じくG級専用の武器種。 本家のスラッシュアックスをベースにMHFらしい大胆なアレンジを施した新生スラアク。 G級に上がった時点から素材入手で生産可能。 詳細は項目参照。 現在は昔と比べて非G級の緩和が大きく進んでおり、2016年度の大規模リファイン<プロジェクトR>によって非G級の大がかりなスマート化が行われて完全な通過点と化したため、G級に上がるだけなら昔より非常に楽に進められるようになっている。 追記・修正お願いします。 △メニュー 項目変更 -ギウラスWiki- 概要(黒歴史編) 以上がG級の現在となる。 ここから触れるのは、G級創立当初に起きた大問題について。 目まぐるしく変化を遂げ続け、安定してきた現在では想像もつかない話だが、当時は運営の凄まじい失策による混沌が巻き起こり、七転八倒を経ながら幾度もの改善が行われていた。 そう、始まりのG級(MHF-G1)は地獄と呼ぶに相応しいアビ叫喚と化していたのである… MHF史上最悪のアップデート、MHF-G(ゴミ)1 先行テストの不穏な雰囲気が少しずつ改善されていき、 フォワード最後の盛大な宴も終え、遂に迎えたMHF-Gアップデート当日。 恒例の緊急メンテにやれやれ、と肩を竦めたハンター達は 体よくシャンティエンを撃退し、順調にG級へ昇級していく。 しかしながら、そんな彼らを残酷に待ち受けていたのは 糞システムの数々、終わりなき地獄のマラソンの始まりだった・・・ これより以下に記すのは、G1アップデート当時に大きく騒がれた重大な問題の数々である。 当時のG級武具 G級武器の問題点について詳しくはこちらの項目で。 要約すると、強化の成功確率が今と比べ物にならない、「素晴らしく運がないな、君は(笑)」の幻聴が聞こえそうなほどの低さ。 レア素材を使ってもその低確率が一切変わらず、しかも努力して完成させたところで覇種武具の攻撃力に負けるという見返りに合わない性能だった。 そのため多くのハンター達からは「作る価値無し」と断じられてしまう事態に。 G級防具も詳しくはこちらの項目を参照していただきたい。 こちらも要求素材の多さや覇種武具にスキル枠拡張以外で勝てる利点が殆ど無かったことから 「G級防具は装飾品(以外に使い道が無い)」と見なされてしまっていた。 以後、素材数が緩和されたG3までG級防具は防具としての存在意義がフワッフワな状態が続いた。 また、防具に関連して地味ながら致命的だったのは 前述の防御減算システムがハンター達には確認不可能だった事、なおかつ今より減算度合いが1ランクキツかった事か。 更に先行テストでは仕様そのものすら伏せられていただけでなく、もっと致命的な問題として クエストの適正GRと同じ防具でなければ防御力が下がるという誰得仕様もあった。 この仕様ではせっかく作ったG級防具が上下のGRでは全く無駄になる訳で、人の努力を無下にするようなシステムから「賽の河原オンライン」と揶揄されて大バッシングを受け、本実装時に撤廃された。 このように、鳴り物入りのG級武具はクソゲーと呼ぶのも生温い超絶運任せ強化と、覇種武具のせいでことごとく普及しないという最悪のスタートを切ってしまっていた。 何故こんなことになったのかと言うと、どうやら運営が「苦労して作った前の装備が無駄にならないように」という配慮を行ったから、らしい。 しかし、その結果がどうなったかは改めて強調するまでもないだろう。 当時のGR 実装当初にハメ・効率主義が横行した最大の原因。 今のように全部のモンスターから自由に選択できた訳ではなく、 ナンバリング・Pシリーズ等と同様にGRPを溜めて緊急クエストをこなし、次のGRに進むことで 次第にモンスターが増えていくという形式で、ある意味HR時代を踏襲した内容に見えた。 しかしながら、これがまた杜撰なシステムだと判明するには時間を要しなかった。 まず、1回のクエストで貰えた当時のGRPは、最大で1300ぐらいだった。 この数値をよ~く覚えた上で、最初のGR1-1とGR1-2それぞれから次に上がるのに必要な値を見ていただきたい。 GR1-1~1-2 約300 GR1-2~1-3 約30000 ・・・お分かり頂けただろうか。 最初のランクアップはまだしも、そこからGR1-3への時点で目算23回以上もの戦闘を強いられるのである。 計算するのもイヤになってくるが、酷いことに以後もこの調子でドンドコ要求GRPが増えていく。 本家、フロンティア、どの目線から見ても正気の沙汰じゃない。 最終的には… GR3-3(当時の最高GR) 約150000 ここまでの合計GRP 約650000 連戦数にして、約5 0 0 回 くるってる・・・・・・運 営 は く る っ て る ! ! 1クエストの所要時間を最短5分と仮定した場合、500×5=2500分で約42時間。 1日2時間でGR上げに専念すると上がりきるまで21日かかる。 これに狩猟クエスト以外の要素(素材採取、準備など)を加味すると、冗談抜きで1ヶ月近くもの時間を要する。 そして、当時の獲得GRPの良効率ベスト3はイャンクック、ダイミョウザザミ、ポカラドンの3体。 というより彼らぐらいしか本当に効率の良いモンスターがいなかった。 現実は1回5分なんてうまいこと事が運ぶわけがなく、正攻法で恐ろしい連戦数をこなしていたら とてもじゃないがGRP稼ぎが全く捗らない。 だったらPTプレイでハメ戦法を使った方がずっとマシだということで、 彼らをハメで延々と狩り続けてGRを上げる風潮が生まれてしまった。 むしろ、そうする以外に方法が無かった。 この状況を誰が呼んだか、名付けて「クッキー・蟹・ポカラ丼オンライン」。 名前だけなら美味しそうに見えて、その実ハンター達には全く美味しくないおかわり地獄である。 このように肝心のモンスターハントを取り巻く環境すらも劣悪で、延命と言うにもあまりに杜撰すぎるシステムであった。 しかもGR3-3までに会えるG級新規モンスターはポカラドン、ファルノック、ヒュジキキしかおらず、ミドガロン以降のモンスターとは戦うことすら出来ないと判明して更なる不評を招いた。 (後に運営は「完全に延命ありきの意識がチーム内にあった」ことを暴露している) ミドガロンから最後のアノルパティスまで配信されたのは、G2に入ってようやくの事であった。 ちなみに実は、この問題は先行テストの時点から既にこうなる可能性を孕んでいた。 だが前述の賽の河原オンラインの方がずっと大きく騒がれた為、プレイヤーも運営も見過ごしてしまったのだ… 覇種真っ青の強さを誇る(新規)モンスター 上記の武器強化失敗や、終わりの見えないGR上げが鬼畜すぎたため、それらに比べると地味だが、 新規モンスターの強さが露骨に優遇されているという声もちらほら上がっていた。 特に顕著なのが☆2のファルノック、☆4のミドガロン、☆6のアノルパティスである。 以下、基本ステータス(体力・攻撃力倍率・全体防御率)を同ランクの古参モンスターと比較した表。 ランク モンスター名 体力 攻撃力倍率 全体防御率 ☆2 ババコンガ 11200 7.0 0.45 ゲリョス 12000 7.0 0.45 ファルノック 20000 6.5 0.45 ランク モンスター名 体力 攻撃力倍率 全体防御率 ☆4 リオレウス 12900 4.8 0.45 ドドブランゴ 14000 5.0 0.45 ミドガロン 25000 7.3 0.45 ランク モンスター名 体力 攻撃力倍率 全体防御率 ☆6 エスピナス 16000 5.5 0.55 ラージャン 12000 3.6 0.45 グラビモス亜種 15400 4.6 0.4 アノルパティス 24000 7.5 0.45 いかがであろうか? GR4を超えてくると攻撃力倍率がの低いモンスターが目立つが、これは上記で述べた防御力補正が大きくなるため。 流石に一撃で即死してしまうような攻撃力ではまずいと判断されたのだろう。 しかしこの仕様が当てはまっているのはほぼ古参モンスターであり、 新規モンスターはそんなこと御構い無しと言わんばかりに、攻撃力倍率が軒並み6.0~7.0超えのモンスターがバンバン出てくる。 また、体力も古参モンスターが大体14000~16000の間に収まっているのに対し、新規モンスターは20000超えが当たり前。 ☆1のポカラドンと☆5のギアオルグのみ20000を下回っているが、 それでも16000、19200と高く、この2体は肉質が物理・属性共にかなり硬いためあまりフォローになってない。 また、G1,G2で実装された古参モンスターは既存のモーションが強化・もしくはエフェクトが追加されただけという、 (例:回転攻撃時に竜巻のエフェクトが発生する だけの ティガレックス、火炎ブレスが毒ブレスに置き換えられた だけの イャンガルルガなど) G級の名を冠する割には少々味気ないものとなっている。 強力な新規モンスターの踏み台のような扱いになってしまう古参モンスターという図式は、MHFでは今に始まったことではないが、 実装前に語られた触れ込みには「G級は覇種をも超えたランク」と語られていたため、 実力・存在感共にマイナーな古参モンスターが一念発起するのではと少なからず期待されていた。 そのため余計に肩透かしを食らうハンターが多かったようである。 他にも酷い要素はまだまだあった。数えきれないぐらい。 しょっぱ過ぎるにも程がある報酬(「何も出ない」枠すらあった)。 何故そこを制限するのか分からないGz所持制限。 etc…… 「コレ」が2013年当時に、運営チームがお客様を半年待たせて実装した一大コンテンツである。 ただただ延々モンスターとの戦いだけを強いて作れる武具は役立たず、 クソ真面目に正攻法で狩るよりも皆でハメたほうが超効率的という末期的環境。 幾らなんでも、こんなゲームが果たしてモンハンの「G級」の重みに耐える、遊んで楽しいと思える真っ当な内容であるだろうか。 ましてや、基本無料プレイが当たり前になりつつあった当時のオンラインゲーム環境で見ても、数少ない完全料金制のオンラインゲームである。 せっかく手を出した最上位のコンテンツがこの有り様では、金を払う価値を見出すことに虚しさも覚える。 結論として、G1の内容にプレイヤー達から下されたのは「G(Garbage)級」…「ゴミ級」の蔑称が相応しいという、今もなお覆されることのない最低最悪の評価だった。 唯一好印象として評価できるのは新規BGMだけ、とも言われた程。 後にG1を振り返ったギウラスが、 「面白さ」をまったく考慮しない、ただ時間を要求するだけのゲームを誰が遊ぶのか? お客様からの評価を100点満点で例えたら「100点中5点」 と語っていることからも、G1の不出来は数多くのプレイヤーの不信と怒りを招いたであろうことがうかがえる。 現在でもこの悲劇は運営の記憶に残っており、節目となる出来事に時々(おそらく自戒の意味で)振り返ることも。 さて、ここで冒頭のギウラスの発言を振り返っていただこう。 「反省しろ~~~!」 ……これ自体はサービス終了の噂に対する返しなのだが、盛大なブーメランに聞こえなくもないのは何たる皮肉か。 その後の顛末 このG1で犯した大失敗が何も影響を出さなかったはずが無く、サービス開始からG1に至るまでの運営の後手で杜撰な対応・態度にある程度許容し、フォワード暗黒期とも言うべき秘伝絶対主義を生き抜いてきたハンター達は遂に我慢の限界を超えて激怒、溜まり続けた不満を爆発させた。 フォワード時代までの比にならない大量の引退者を出しに出しまくり、PC版の人口は一気に減少。 後にそれまで複数有ったPC版サーバーが1つに統合される事態にまで発展した。 (ただし統合の件は、元々運営の中で予定にあった事である。それが結果的に早くせざるを得なかっただけ) あと、「G1からG2で同時接続が3万から2万に減った」などとよく言われるが、これは若干不正確である。 実際にはF5の時点ですでに同時接続は減少傾向にあり、F5終盤は25000~20000程度だった。 ではなんで3万人とか言われているかというと、F5の最終週は「MHF最後の宴」というコース全解放などの大盤振る舞いなイベントをやっていて、その週の同時接続が3万人ほど居たからである。 G1の出来があまりにひどかったため、微妙に誇張された形で話が広まってしまった。 まあ大して変わらないけど… 結果的に見れば、長きに渡って積もり続けたツケを運営は手痛い形で払うこととなった。 特に重要なのが、G級実装以前から延命、搾取の鬼と批判され続けていたように運営態度がすこぶる良くなかった事であり、その姿勢を続けていれば例えG級の構想が無かったとしても、遅かれ速かれプレイヤー達の不満が大爆発する未来は目に見えていた。 真摯に向き合う姿勢がこの時の運営になかった以上、こうなるのは避けられない運命だったのである。 G級改新と波乱の道のり そして運営は、G1アップデートからしばらくして「G級を根本から見直す」と宣言。 これはG級の惨状に対し、ハンター達がG級の質に対して運営にハッキリ「NO!」と突きつけたことを意味していた。 ここから暫くの間、「G級改新」としてMHF-Gは激動の時代へと突入していくことになる。 G1の問題点は運営の信じられないリファイン速度の速さもあって、段階的にだがどんどん改善されていった。 GRシステム…GRP緩和策などが取られ、G2で制限が完全撤廃。自由にモンスター選択可能に G級武具…作りやすさは改善されたがなお要求素材数が多い。G3で大幅減少により作成難易度低下 かと思えば、折角の新たな目玉コンテンツの極限征伐戦が難易度や報酬面の問題で大ブーイング。 G1の失敗も含めPC版のハンター人口が1万人台まで落ち込む事態になり、改めて本腰を入れた運営は何度も開催とフィードバックを継続することに。 一方、気になるライバルMH4の発売で案の定ハンターが少なからず流出。極征の事件もあり運営もハンターも気を揉む(*3)。 G3でG級の大部分が改善されたものの、ギウラスから見れば「100点中50点」とまだまだ再建途上だった。 顧客層拡大のためにPS3、WiiUでもサービス展開するが、プレイヤーの選択の幅は広がったものの戦略的には大きく成功したとは言えなかった。 また、シジル無限作成バグという重大な不具合事件が起きたり、ミヤーシタこと宮下がいつの間にか左遷異動してキモトこと木本が表舞台に現れたり…といった出来事も起きた。 一部では宮下が憎まれすぎたので木本が新たなスケープゴートにされたという憶測を呼んだ 波乱万丈の末、「真のG級」と題したGGで新武器種「穿龍棍」の実装が大好評となり、 G1で死に体と化したMHF-Gは息を吹き返すことに成功。 他の武器種が追いやられかける驚異的な普及率で一時はバランス崩壊が危ぶまれたが、それはまた別の話。 以降は小規模の問題(上記の武器種間バランス、緩やかではあるがハンター人口の流出etc)やインフレの加速化、それに対する施策の迷走などといった懸念点がチラホラと発生はしたものの、 これといってG1並の致命的な大問題が起こることは無かった。 そして、G級の整備やイベント展開、G9以降の明確なエンドコンテンツ「G級ラヴィエンテ」の実装等によりプレイヤー側の再認識が進み、ようやく「G級=MHFのメインコンテンツ」という立ち位置を確固たるものとすることになった。 その年月、実に約3年。短いようでとても長い道のりであった。 G1の大失敗後の運営体制 流石に運営も昔ほどの酷さは無くなり、その後は昔と比較して驚くほど遊びやすくなった。 新規・復帰プレイヤーへの待遇やサポート、キャンペーンはかなり手厚く行われている。 従来以上にユーザーの意見を積極的に聞き入れ迅速なフィードバック、リファインを行うようにもなった。 地獄のフォワード・G1時代が嘘のようなユーザーフレンドリーである。 一方で課金は相変わらずとも言われるが・・・これは料金制オンラインゲームである以上は必然の販売形態であるし、一種のバランス調整も兼ねているので流石に致し方ない面はある(*4)。 確実に言えるのは、もはや昔のような重課金をせずとも最低限の料金だけで十分遊べるようになったことである。 その後や余談 大失敗から綱渡りでなんとか立て直した運営の手腕は評価できる所もあるが、反省にしろ改善策にしろいささか遅すぎた部分があるのも事実ではある。 事実、G級序盤とその後の大失敗が原因で、当時ただでさえ元から危うかった運営の信用は完全に失墜。 新モンスターや新コンテンツ実装が告知されるたび、その出来を全くといっていいほど期待しない・過小評価する声が一部から出るのが恒例と化してしまった。 流石にZ時点ではそれほど辛辣な空気でも無くなったが、知っている人は知っているぐらい、G1の惨状は今も深い爪痕になっているのだ。 また、数字面では2013年度決算でカプコンの利益低調の原因として名指しされた程多大な損失をもたらした。 ゲーム会社の中でも特に利益を重んじるカプコン。もし二の足を踏んでしまえば足切りは避けられないかも、 という正念場に立たされたこともあった。 その危機をなんとか乗り切れた2014年11月、渋谷で行われた感謝祭のステージではG1からの失策を振り返る「反省の宴」が開催。(動画https //www.youtube.com/watch?v=-9bbyT63sgk ) G1のアレすぎる要素の数々は(ざっくり言うと)F5・G1に要素を盛り込みすぎた結果テストプレイ・調整が不十分になってしまったためと明かされた。 そして、最後にはギウラスをはじめとした主要スタッフ4人に抽選で選ばれた観客が「反省しろ~~~!」と顔面にパイを投げつけるイベントで〆、というオチもついた。 (後に「実は反省してないんじゃないか?」という物言いから巨乳好きのギウラス(本人公言)と(いつもの)愉快な面々が滝行に挑まされるという荒修行に発展した) G1の大失敗以降、運営が施策面でやらかした未曽有の大ポカはこれといって起きておらず安定志向に入っているが、 一時期は全ハードのユーザーを巻き込んだ重大なサーバートラブルでまたもサービス終了か、と囁かれたこともある。 だがG1の経験を糧に生まれ変わっただけあり、無事に解決した後はユーザーへのアフターケアをやり過ぎなぐらい充実させて驚かせた。 もちろん、我々はこの程度で帳消しにしてはならないし、これからも忘れてはならない。 かつて運営の大失敗がもたらした負の歴史を。 誰もが終わりなきおかわり地獄に頭を抱え、絶望し、声を上げた日々があったからこそ、今のG級があるという事を・・・ 追記・修正は当時からメゼポルタ在住のG級ハンターにお願いします。 △メニュー 項目変更 この項目が面白かったなら……\ポチッと/ -アニヲタWiki- ▷ コメント欄 [部分編集] G1~2の間に猟団が半壊した・・運営はハンター同士の絆を押してるくせに、結果がこれだよ。反省しろー! -- 名無し (2014-02-15 10 16 52) βテストよりはいいけど、強くするために防御減らしますねって明らかに間違った強化だろ。たった4、5カ月でプレイヤー人口半減、半年でサーバー数が4分の1に減ったとか運営が能無しにも程があるよなあ。メンテ延長の原因なすりつけとか、どうも今のFと開発にいいイメージない。 -- 名無しさん (2014-02-15 10 22 29) 迷走しつつもユーザーの声を聞いてちゃんと改善してくれるだけいい運営だと思うけどなぁ。どこぞのガ〇ホーみたいにユーザーの声ガン無視して崩壊させて改善どころか悪化しかさせないような運営と比べたら神運営すぎる -- 名無しさん (2014-02-15 13 00 46) ↑対応が遅すぎたんだよな。延命しか頭になかったせいでコンテンツその物を絶命させかかったというのはなんとも皮肉な話だわ。 -- 名無しさん (2014-02-15 18 44 06) 今はなんとか首の皮一枚繋がったが、次何かやらかしたら冗談抜きに消滅するだろうね -- 名無しさん (2014-02-16 04 16 33) 延命捨てたレベルに色々投入(てか新フィールド前倒しで入れろとも)して大分よくなったけど課金は相変わらずだったりする -- 名無しさん (2014-04-30 23 50 18) 課金が相変わらずだから低年齢層を狙ったvitaも振るわないんじゃないかなあ -- 名無しさん (2014-07-07 11 25 09) こんなモノに本当に一年間も掛けたのか。しかも一週間位で大改正してるとか虚しさしかないな。 -- 名無しさん (2014-07-09 02 34 47) バルラガル、デザイン・戦法共に個性的な奴なのにプレイヤーの傷が癒えきらない時期に出てきてしまったばっかりに影薄くなってしまった感がある。 -- 名無しさん (2014-07-09 18 35 40) 個人的にランク毎にモンスが解放されていくシステムは狂ったポイントさえ目を瞑ればまだ擁護できる。武器強化失敗だけはマジで殺意が沸いた。 -- 名無しさん (2014-07-19 17 46 03) 終わらない超連戦、作業なランク上げ、鬼畜な素材確率、手抜き強化の古参モンスと妥協を許さない新モンス・・・。狙ってやってんのかっていうくらい不評要素ばかりが的確に凝縮されてたな。 -- 名無しさん (2014-07-20 01 33 40) 武器強化失敗はホントに擁護不能だよね。素材要求数が異常な上に「失敗しちゃったwテヘ^^」は殺意が涌くわ。100歩譲って作成、強化素材が入手が1クエで10回や20回出るなら許容出来るが、そんなのはモンハンでも何でも無いし。ここの運営は調整が0か100しか無いぐらい調整が度下手。 -- 名無しさん (2014-08-28 17 59 27) 覇種実装時の「覇種装備を揃えなきゃ覇種とまともに戦えもしない」って状況といい、ちょっと冷静になって考えればこの仕様はおかしいって気づかないもんなんだろうか?テストしすぎて逆に苦に感じなかったとかかね?それにしてはモンスター周りの調整も杜撰の一言に尽きてたけど。 -- 名無しさん (2014-12-23 22 07 13) 細かい言及は避けるが、30人弱いた猟団が団長と俺の二人だけになったと報告しておく。 -- 名無しさん (2014-12-24 19 42 11) 覇種辺りからついていけない人間完全置いてけぼりだったのに何も学んでなかったんだな。辞めて正解だったわ -- 名無しさん (2014-12-24 22 12 49) 正直言ってモンスターの戦闘力はドラゴンボール末期に匹敵するだろこれ… -- 名無しさん (2015-01-04 21 23 43) ↑ハンターの戦闘力のインフレもな -- 名無しさん (2015-01-14 04 22 19) 心が折れてちょうど発売したmh4に乗り換えたわ・・・ -- 名無しさん (2015-01-14 11 10 24) オンラインゲームってやったことないんだけど、ここまでのインフレ・(ゲームバランス的な意味での不祥事起きたゲームってあるの? -- 名無しさん (2015-01-29 13 10 30) 何故タグにドラゴンボールが無い!? -- 名無しさん (2015-03-28 10 19 55) ↑2 寝糞、癌呆辺りでググってみるヨロシ -- 名無しさん (2015-03-28 11 18 36) ユーザーから批判殺到したのを込みで見てもあまりにも改善が早かったあたり、ぶっちゃけサービス開始前からどこが問題なのかスタッフもわかってたろうコレ -- 名無しさん (2015-05-03 01 24 59) G1の武器強化はテメェがやってたのかドゥドゥ!(PSO2の項目すらないというのに…) -- 名無しさん (2015-05-06 06 53 34) ドゥドゥワロタ、あっちで言うところの必滅じゃ荒れるよなぁ… -- 名無しさん (2015-05-06 16 27 06) 当時は絶許だったが、4Gの極限状態を体験した後だとまだマシに感じる不思議 -- 名無しさん (2015-05-24 12 41 20) 先んじて終わろうとしてるMMORPGの大物とか見ても思うんだが、オンラインものは1回客を失うと改善したところで決して戻らないってのがはっきりわかるよなあ -- 名無しさん (2015-05-24 14 00 17) ↑一度引退すると復帰してもその間に実装された大量の新要素に0から取り組まないといけなくなるし結局モチベーションが維持できずにみんな逃げていくんだよなぁ -- 名無しさん (2016-11-24 11 47 09) 名前 コメント